5年前(平成15年)の4月、私が理事をしているNPO法人徳島共生塾一歩会の会員で小松島市にお住まいの方から、地元の不動産屋さんの相談に乗って欲しいと言われ、小松島市内の中心部の空き家の民家、4、5件を見て回りました。その中で唯一、建物の構造が丈夫で、アルミサッシも使わず昔の面影を留めていたのが、現在の大正館でした。不動産屋さんは、建物を潰してマンションなどのビルを建てようか、駐車場にして貸そうかと考えていたところでした。現実はマンションにしても業務用の建物に改築しても、現在の二条通りの状況では新規居住も商売も難しいことは誰しも分かっていた訳で、NPOなら何とか活用してくれるのではないかという期待があったようです。これまでもお話しした通り、二条通り周辺に現存する「大正時代の町屋」は殆どありません。現在の小松島の礎を作った町屋の一つぐらいは再生して保存しておきたいと願ったのが最初の動機でした。その後、NPO連絡会議(県内のNPOネットワーク組織)やNPO法人市民未来共社、NPO法人徳島共生塾一歩会の了解をとるのに3ヶ月かかって、その年の8月から、後に大正館になる建物を借りることになりました。< 大正館の保存運営に当たっている島氏の回顧 >
 それでは当時の写真を見ていきましょう。以下の写真は二度目に大正館を訪れた時(平成15年6月)の模様です。最初に訪れた時(同年4月)の建物の中の状態は、飲食店が店仕舞いした際に発生した什器が多数投棄され、酷く散乱した状態だったそうです。
 写真を見る前にちょっとおさらい。下の図の上側は平成15年6月の状態を表した図面、下側は現在の大正館のレイアウトです。平成15年当時の写真が撮影された位置を知るには上側の図面を参照するとよいでしょう。このページでは上側の図面に記載されている名称をそのまま使用しています。なお、現在の大正館は、館内のご案内 で紹介していますので、是非そちらも訪れて下さい。

二条通りに面した大正館
アルミサッシもなく原形をほぼ留めています
さあ、入ってみましょう

入口を入って左のチョウバ
廃棄された椅子の向こうはオモテ
オモテは今の和庵二条通り側の部屋です

ダイドコロとニワは通々でした
右奥にはナヤが見えます
雨に濡れずにナヤに行けます

こちらはニワの隣のソウコ
ソウコからも外に出れてナヤに行けます
現在はトイレと倉庫になっています

左がナヤ、右が母屋、その間の通路
大正館は昔、燃料を扱う町屋でした
ナヤからソウコに練炭などを運んだのでしょう

通路から裏庭を見たところ
左が母屋、右がナヤになります
ダイドコロの向こうにはヌレエンが見えます

通路を出て裏庭から見たウラ
傷みが激しい
二階の雨戸はトタンが張られています

ナヤの内部
昔は炭などが多量に保管されていたのでしょう
ナヤは傾いで少々危険な状態でした

ナヤの天井
梁は太い木材が用いられていました
梁は現在プランターとして利用しています

ダイドコロを通して見るウラ
壁が壊れ、外の光が入っています
日めくりは昭和60年のものです

ウラ
梁には吊金具があり、昔この部屋に囲炉裏が
あったことが分かります

オモテ
部屋の角の隙間から外の光が
窓の格子は今も健在です

それでは二階に上がってみましょう
昔は階段の左側に壁がありました
今は壁を取り払い手摺が取り付けられています

階段を上がって振り向いたところ
雨戸から外の光が
ガラス戸はなかったんです!

階段を二階から見たところ
このあたりの雰囲気は今と変わりません

 

6貼
二階の東側(港側)
 

6貼から見た10貼
二階の西側(徳島側)
懐中電灯を頼りに図面を確認します

10貼
昔はここに旦那衆が集い
寄り合いが開かれたのでしょうか
 どうでしたか? 昔の大正館。かなり傷みはありましたが、しっかりとした造りだったため今もほぼ昔の姿を保って使うことができます。ところで図面を見て気が付いたことはありませんか? お便所はどこ? お風呂はどこ? お便所は・・・今の裏庭の池のそば、お隣との境界近くにあり、おそらくヌレエンから渡り廊下を伝って行ったのではないかと思われます。平成15年に確認した際には既にお便所の痕跡が残っているだけでした。昔は水洗ではありませんでしたから、お便所(厠)が母屋の外にあるのは普通のことでした。冬は寒かったでしょうね、夏は蚊が大変だったでしょうね(今でも裏庭の手入れには蚊取線香と防虫スプレーなしではできません)。また子供にとっては夜の厠は恐怖だったでしょうね。お風呂はナヤの一角にありましたが、おそらく大正時代にはお風呂はなく、近所のお風呂屋に行っていたのではないでしょうか。ダイドコロの日めくりは昭和60年のものでした。つい最近まで「お便所もお風呂も母屋の外」という生活が続いていたのでしょう。それと二階の二条通り側の窓ですが、ガラス窓がありませんでした。雨戸だけで過ごしていたのですね。他のガラス窓やガラス戸も後から取り付けられたのかもしれません。
 造りはしっかりしていたものの、今後もこの建物を保存し、お客様をお迎えするには大規模な改修が必要でした。ナヤの取り壊しと浄化槽の設置は不動産屋さんがやってくれましが、それ以外は自分たちでやらなければなりません。大正館の保存は商業ベースでできるものではありません。後は自分達で完成させなければなりません。以下、その時の活動の模様を掲載していきます。(大正館誕生の記録として、また活動に参加した人たちの記念にするため、多数の写真を掲載しました、ご了承下さい。)
平成15年7〜12月 納屋取り壊し、廃材の片づけ、そして土塀作り
大正館の裏にあった納屋は危険な状態でしたし、大正館からの景観を塞いでいたので取り壊すことにしました。
納屋を取り壊すと大正館裏庭側(南側)全体が見渡せます。屋根や壁がかなり傷んでいるのが分かります。
7月に取り壊してからは毎週廃材の片づけに追われ、なんとか片付いたのは12月でした。
それまでには裏庭側一階部の屋根瓦が葺き替えられ、浄化槽とトイレもできあがっていました。
12月に土塀作りが始まりましたが、材料は拭き替えた際の古い屋根瓦と土を再利用したものです。

平成16年1月31日 本格的な改修の始まり。お店の内装から始めましょうか。昔の入口の様子が分かります。

平成16年2月7日 お店の内装工事が進んでいます。ステイン(焦げ茶色の塗料)を塗ると色の対比が締まって綺麗に見えます。

平成16年2月11・12・14日 お店にグッズを陳列してみました。グッズは施設の方々が作ったものです。

平成16年2月28日 入口の改修、厨房の床張り、それに裏庭の土塀の嵩上げ作業が行われています。

平成16年4月10日 土塀増築中。室内では壁塗り、ステインに柿渋も塗られ、どんどんきれいになっていきます。

平成16年5月22日 お隣との境に立てる間伐材の皮を剥き、ステインを塗っていきます。皮剥ぎは結構きつい作業。

平成16年7月17・19日 お隣との境に間伐材の柱を立てていきます。室内の内装もだいぶ現在の状態に近付いてきました。

平成16年9月18・19日 裏庭の整備が佳境を迎えます。不要なものは整理して。大正池の穴掘りも始まりました。

平成16年9月23日 新しい畳は扇風機でよく乾かしましょう。裏庭の輪郭もはっきりし始めています。

平成16年10月16日 浄化槽の上には東屋を建てました。大正池の輪郭が見えてきました。
そして平成17年3月11日、大正館が誕生しました。平成15年4月に初めて大正館となる建物を定めてから2年後のことでした。
 昨今、昔の建物や遺構が産業遺産として認知され、観光資源としても重要な位置を占めつつあります。私が平成20年4月に小松島にやって来て感じたことは、過去に四国の東玄関としてあれだけの栄華を誇った地域であるにも拘わらず、昔の建物や遺構が残っていないことでした。小松島港駅(小松島港仮乗降場)、ハイカラ館(旅客船待合所)、東洋紡績小松島工場、合同電気徳島火力発電所、 すべてが跡形もなく消し去られています。大正館は、このような小松島にあって、その繁栄の時代を見てきた貴重な生き証人です。冒頭で島理事が言っていたとおり、大正館は「現在の小松島の礎を作った町屋の一つぐらいは再生して保存しておきたい」という願いを動機として、多数のボランティアの熱意により再生されたものです。大正館は任意団体「大正館を守る会」によって運営されていますが、運営資金は大正館を訪れる皆様の売上によって賄われています。栄華を誇った小松島の町屋、そして大正時代の温もりを今に伝える日本家屋を守り後世に伝えるため、皆様のご愛顧をお願いする次第です。<大正館ウェブサイト管理人>
平成17年3月11日撮影 平成20年6月28日撮影
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