第十七話   元町からJRに沿って西へ行く その2
 前話では、元町駅からJRに沿って須磨駅まで歩いて行きました。その途中、兵庫駅からは和田岬線が、和田岬駅まで延びています。単線で兵庫〜和田岬の一区間の路線。そして朝夕しか列車が運転されていません。どのような路線なのでしょう。まずは兵庫駅から和田岬線に沿って和田岬駅に行ってみましょう。行く方向は、途中から「西へ」から「南東へ」に変わります。

 兵庫駅の和田岬線のホームは山陽本線のホームとは別で、山陽本線の南側、一段低いところにあり、改札で区切られています。兵庫から和田岬に行くには、兵庫駅で改札を2回通らなければならないのです。その理由は後ほど説明しましょう。
 兵庫駅の南口を出ると、昔あった倉庫の鉄柱を利用したモニュメントがあります。イギリスから輸入されたもので、鉄柱に「Liverpool」という文字を見つけることができます。駅を出て西側に少し歩くと和田岬線のホームが見えてきます。
 山陽本線では見ない青い電車が留っています。近づいてみると「兵庫⇔和田岬」の方向幕が見えます。103系の電車が使用されているようです。しばらくするとこの電車は西の方に走っていきました。
      

 和田岬線は兵庫駅を出ると少しの間、山陽本線と平行して走りますが、その後その方向を西から南東へ大きく変えます。山陽本線に沿って歩くのは簡単でしたが、和田岬線は線路に沿って道がないため、近くの道をジグザグに歩いていきます。
 和田岬線が国道2号線と阪神高速の下で大きく南東にカーブしたあたりから運河が多くなります。和田岬の沖は波の立ちやすい海域で、その昔、明石海峡を抜け神戸港に入る船は和田岬の沖で難渋し、難破したことも多かったようです。
 このため、和田岬沖を通らずに入港できるようショートカットする運河が建設されました。運河が開通したことにより航海が安全になるとともに、付近の海運業が盛んになっていきました。
      

 さて、和田岬線が大きく左にカーブすると、分岐を介して引き込み線があります。引込み線の先は、川崎重工の鉄道車両工場。和田岬線と工場の間には道路があって、引込み線を横断することができます。工場の中では多数の車両が建造中でした。
 ここで完成した車両の大部分は、この引き込み線から和田岬線を通って兵庫駅まで行き、そこから折り返して鷹取駅(神戸貨物ターミナル駅)まで搬送。そこから発注事業者の車両基地まで鉄路で運搬されます。
 中央上の写真、引き込み線の転轍機、よく見ると車両がこのまま進むと脱線してしまいます。これは脱線転轍機というもので、本線を走っている列車との接触事故を防ぐため、わざとこうした仕組みになっているのです。
      

 川崎重工を過ぎると和田岬線は和田岬駅まで一直線に進みます。途中に運河を渡る鉄橋があります。短い鉄橋なのに橋の中央部にも橋脚が立っています。この鉄橋は昔、中央部で回転し、船が通れるようになっていたのです。
 現在では船が大型化し、和田岬沖を問題なく航行できるようになり、運河を通る船もなくなったことから、回転部分を取り外し、現在の形で橋は固定されています。明治32年にできた和田旋回橋は、日本最古の可動橋でした。
 和田岬線は街中を南東に横断しているため、街の活性化のために廃止する話が持ち上がっています。どうなりますでしょうか。さて、ここまで来れば和田岬駅まであとわずか、線路に沿って道もありますので、そこを歩いていくことにしましょう。
      

 和田岬駅には改札がありません。券売機もありません。(一部)屋根がありますが、駅舎すらありません。実は兵庫駅にあった山陽本線と和田岬線を区切っている改札、あれが和田岬駅の改札の役割を負っているのです。
 和田岬駅で乗車した人で切符やICカードを持っていない人は、兵庫駅の和田岬線ホームの改札手前の券売機で切符を買ってから、その改札を通って駅構内に入ります。
 兵庫駅で降りる人はそのまま構内を通り、もう一度、兵庫駅の改札を通って外へ出るようになります。山陽本線に乗り換える人はそのまま山陽本線の列車に乗ることができます。面白い仕組みです。
通 常  券売機・改札 → 駅構内 → ホーム  <列車>  ホーム → 駅構内 → 改札
 和田岬線  ホーム  <列車>  ホーム → 券売機・和田岬駅改札 → 駅構内 → 兵庫駅改札 
上の表は和田岬駅から兵庫駅へ行く場合です。兵庫駅から和田岬駅に行く場合には逆順になります。
      

 ここまで来たら、先ほどの和田旋回橋の上を電車が通過するところを撮ってみたくなりました。先ほど来た道を引き返します。夕方の和田岬線の始発は、兵庫駅を17時15分に発車します。おそらく発車して2分ほどで橋にさしかかるでしょう。
 途中の御崎公園内には昔、神戸市内を走っていた市電が展示されています。市民に親しまれてきた市電ですが、道路を多くの車が走るようになるに従い、だんだんと姿を消していきました。
 昼間は寒くなかったのですが、だんだんと暗くなり、寒くなり、そして風もでてきました。暗くなってくると電車がうまく撮れるか心配になってきます。そして30分近く待って撮ったのが右下の写真です。
      

 帰りは和田岬駅から和田岬線に乗ることにしましょう。先ほど始発電車を撮ったので始発電車には間に合いません、次の便に乗車することになります。乗客のほとんどは和田岬にある三菱重工の造船所に勤めている人々です。
 電車が来るまでの間、近くのコンビにで買ったビールやお酒を飲むグループもあり、他の(一般の)駅とは違う雰囲気があります。電車が着くと、多くの人は兵庫駅での乗換えを考えて前の方に乗りますので、後部は余裕で座れます。
 私は一番後部に立ち、運転席越しに今まで歩いてきた道を眺めます(もう真っ暗であまり見えませんでしたが)。そして電車はカーブの手前でかなりスピードを落とし、程なくして兵庫駅に着きます。
      

 兵庫駅の和田岬線には待避線も備わっています。川崎重工から機関車で牽引されてきた列車はこの駅から逆方向に進み、山陽本線に沿った専用線を西に進み、鷹取にある神戸貨物ターミナル駅に向かいます。
 左下の写真、列車を牽引してきた機関車はここで切り離され、前後が付け替えられます。そして中央下の写真、右方向の勾配を登り、専用線を西進します。同写真、左の方に進むと和田岬駅方面です。
 右下の写真は兵庫駅構内の和田島線の改札です。切符がない方は改札右側にある券売機で買います。ここは出場ではなく入場ですから改札を通る際に切符を取り忘れないように。(という標示がありましたので、忘れる人が多いのでしょう)
      

 和田旋回橋で写真を撮るため電車を待っている間に随分身体が冷えてしまいました。兵庫駅からは山陽本線に乗って元町まで帰りましょう。次回は、須磨まで電車で行き、そこから先を、再びJRに沿って歩いてみます。
 さて、風邪をひかないように元町駅で燃料を補給しましょうかね。それではみなさん、次回までごきげんよう。
兵庫発   0700 0718 0737 0757 0821 0846 0910   1715 1733 1751 1820 1850 1920 1950 2020
和田岬着   0703 0721 0741 0800 0825 0849 0913   1718 1737 1754 1823 1853 1923 1953 2013
和田岬発   0709 0727 0748 0807 0830 0855 0925   1724 1742 1800 1834 1904 1934 2004 2034
兵庫着   0713 0731 0752 0811 0834 0859 0929   1728 1746 1804 1838 1908 1938 2008 2038
和田岬線の時刻表(2011年12月5日現在)。 朝に7便、夕に8便が運行されています。
第十七話   元町からJRに沿って西に行く その2    

第十八話   元町からJRに沿って西へ行く その3
 前話では、兵庫駅から横道に反れ、和田岬線に沿って和田岬駅まで行ってみました。今回は前々話、第十六話で行った須磨から先を、同じくJR線に沿って西に歩いてみましょう。前回、須磨まで歩いたので今回は須磨までは電車で行きます。元町も須磨も新快速は止まりませんので快速か普通列車に乗ります。元町駅周辺で軽く昼食を摂って、さあ出発です。今回はミセス・アレックスも同行します。

 須磨駅の改札を出たら北口ではなく、海に面した南口に出ましょう。駅舎から出ると目の前は砂浜と海(大阪湾)。いきなり広がる景色に感動しますよ。南口にはコロッケ屋さんがあって、おいしそうなコロッケを売っています。ここでコロッケを買って砂浜で腹ごしらえをしてから出発してもよいでしょう。訪れた日は冬の天気の良い日でした。海は凪ぎ、水はとても澄んでいました。
      

 砂浜を西にしばらく歩くと歩行者用の踏切があります。ここから先は海岸沿いに歩くのが困難ですので踏切を渡ってJRの北側に出ます。JR山陽線は、普通、快速、新快速の他、コンテナ貨物も頻繁に走っており、山陰に向かうディーゼル特急に会うこともあります。踏切を渡ってそのまま直進すると国道2号線。その北側には山陽電車も見えてきます。
      

 国道を西に歩くと須磨浦公園の東の入口に至りますので、そこからは公園内を歩きましょう。よく整備された公園内を歩いていくと、程なくして山陽電車、須磨浦公園駅に出ます。この駅は鉢伏山に登るロープウェイの乗り場が併設されています。自動販売機で千円のロープウェイと「カーレーター」の往復セット券を買います。カーレーターってなんでしょうね!?
      

 ロープウェイはぐんぐんと昇っていきます。後ろを見ると須磨浦公園駅がどんどん小さくなり、大阪湾の視界がどんどん開けてきます。程なくしてロープウェイは鉢伏山上駅に着きますが、展望台まであと一歩。短い距離ですが、そこを下の写真、カーレーターで昇る訳です。とてもレトロな乗り物ですが、日本に2基しかなく、マニアには有名なんだそうです。
      

 鉢伏山山頂には展望台がありますので、そこからの展望を楽しみます。左の写真は東方向、神戸方面の眺め、中央の写真は西方向、明石方面を眺めているところです。写真ではよく判りませんが、明石方向には、明石海峡、その海峡を横断する明石海峡大橋、その橋で繋がっている淡路島を見ることができます。それではカーレーターとロープウェイで下に降りましょうか。
      

 須磨浦公園駅からは国道沿いを歩かなければなりません。交通量の多い道路ですから、喉の弱い人はマスクをしたほうがいいですね。なんだか口の中がザラザラしてきました。国道と山陽電車の間の歩道を歩いていくと、塩屋駅周辺には洋館が多く建っていますが一般公開はしておらず、一部の洋館がイベントで利用できるだけです。
      

 塩屋駅からしばらく国道に沿って歩くと、垂水なぎさ街道という海浜公園に至りますので、公園の中を歩いていきます。国道から少し離れただけですが、とても静かで木々に囲まれた気持ちのよい散歩道です。この公園は明石海峡大橋まで続きます。途中で一部、国道沿いを歩く部分があり、そこで右手に海神社が見えれば、その隣が垂水駅です。
      

 塩屋駅から少し歩くと三井アウトレットがあります。ここは大きな駐車場もあって平日でも多くの人が買い物を楽しんでいます。ミセス・アレックスが好きな所ですが、今回は通過。ここまで来ると明石海峡大橋が大きく見え、橋の近くにある舞子駅まではあとわずかであることを実感します。橋脚近くには孫文ゆかりの移情閣などがありますので中に入るのもいいでしょう。
      

 ミセス・アレックス、疲れましたか?橋を見ながら少しやすみましょうか。でもこの近くには橋の記念館があり、その中でも休めますから頑張って進みましょう。明石海峡大橋は中央径間が世界最長で、ギネスブックにも記載されています。館内には橋の仕組みを説明する多数の資料のほか、ギネスブックの公認書類も展示されています。
      

 舞子駅の北側には明石海峡大橋の橋上に高速バスの停留所があります。なにしろ高い橋ですから、エレベーターか長いエスカレーターで上まで上がります。ここから徳島までバスに乗って行くこともできます。逆に徳島から来て舞子から西に行く人はここで乗り換えると便利ですね。神戸に行く場合は乗り換えないでそのままバスに乗っていく方が楽です。
      

 舞子を過ぎると暗くなってきました。播磨灘に夕日が落ちようとしています。冬ですので暗くなるのが早いですし、少し雨も降ってきました。道を急ぎましょう。海岸に沿って整備された道を歩いていくと朝霧駅です。朝霧駅から海岸の公園まで渡る歩道橋の上には人だかりがしています。ここは播磨灘に落ちる夕日を眺めるスポットなのでしょうか。今日は天気が悪くて残念です。
      

 明石海峡を挟んで対岸を見れば、淡路島の北端に位置する江埼灯台が点灯し始めました。明治4年に建設された歴史ある灯台で、赤白の互光を発します。その山の上には大阪湾海上交通センターのタワーが見えます。両方とも、海の交通安全を守る海上保安庁の施設です。明石海峡大橋のイルミネーションも輝きを増してきました。
      

 真っ暗になると橋のイルミネーションが一段とはっきり見えるようになります。明石駅からは遠くなりますが、しばらく海沿いを歩きます。すると昨年廃止された明石フェリーの船着場で出ます。フェリーは廃止されましたが、この少し先から出航する高速船は今でも運航され、淡路島の岩屋まで行くことができます。ここまで来たら北上して明石駅に向かいましょう。
      

 明石に来たならば名物の明石焼きを食べないで帰るわけにはいきません。とても美味しくいただきました。途中にある商店街は「魚の棚」と書いて「うおんたな」と呼びます。明石海峡で採れた新鮮な魚を売っていて、特に蛸と鯛が有名です。明石焼きはたこ焼きと異なり、玉子が主材料で、明石で採れた蛸が入っているのが身上です。明石駅で今回の旅は終わります。
      

 JR路線上で、元町から須磨までは9.0キロ、須磨から明石までは12.1キロ、兵庫から和田岬までは2.7キロあります。いろいろ寄り道もしましたからトータルで25キロほどは歩いたでしょうか。ミセス・アレックスの万歩計に拠れば、須磨駅から明石駅まで29,141歩でした。ミセス・アレックス、お疲れ様でした。左の写真は一昨年の正月に写した明石フェリーが明石港を出港しているところです。
第十八話   元町からJRに沿って西に行く その3    

第十九話   元町からJRに沿って西へ行く その4
 前話では、明石まで行きました。明石駅に行く途中、淡路島に行く連絡船乗り場に立ち寄りました。実際に船を見てしまうと乗ってみたいと思うのが身上。今回は淡路島に渡ってみましょう。淡路島には前話で少し登場した江埼灯台と大阪湾海上交通センターがあります。そこにも立ち寄ってみましょう。今回は交通事情により、歩くより船と車の利用が多くなります。

 三ノ宮(今回は元町の一つ手前、三ノ宮から乗車しました)から明石までは新快速で一駅(!)、15分で着きます。明石駅のホームから東北東方向を見るとタワーがあります。明石は東経135度、日本標準時の基準となる経度線上にあることでも有名です。タワーは、東経135度線上に建っている明石市立天文科学館の塔で、大きな時計が設置されています。
 明石は明石海峡で採れる蛸と鯛が有名です。駅構内では真っ赤な蛸がお出迎え。連絡船乗り場に行く途中にある魚の棚(うおんたな)商店街では、正月用の魚を買う人で変混んでいて活気がありました。前回ここで食べた明石焼きは、今回は割愛し、連絡船乗り場に急ぎます。連絡船乗り場は明石駅から歩いて10分くらいの明石港にあります。
      

 現在はジェノバライン(大阪市のジェノバ社が運営)と呼ばれる連絡船は、平成13年までは播淡聯絡汽船が運営していたため「ばんたんきせん」と呼ばれていました。その後、明石海峡大橋の開通や燃料油の高騰で、合併や減便、さらに淡路島の西側にある富島港ルートが廃止され、現在は明石〜岩屋ルートのみ、1日約40便(片道)が運航しています。
 今回乗船した「マリーンフラワー2」は播淡聯絡汽船時代からの船で、総トン数が104トンあります。結構時化ていても運航します。船も乗客も時化には強いです。しかしもう一隻の船、レットスター2は19トンしかなく、海上荒天時や冬季はマリーンフラワーで運航されます。今回はマリーンフラワーなので、正直ホッとしました。
      

 マリーンフラワーが明石港の狭い水路を入港している左上の写真、向こう側に見えるのが淡路島。そしてその山の上には、これから行く大阪湾海上交通センターのタワーが見えます。明石港から淡路島・岩屋港までは13分で着きますが、1時間に1便しかない時間帯もありますので、出港時刻を確認してから行くと良いでしょう。連絡船は人と自転車が乗船できます。
 狭い港内抜けて海峡に出た連絡船は速度を増し、海峡を東西に設定されている明石海峡航路に沿って航行している船舶を縫うように避けて海峡を横断します。航路をほぼ直角に横断した連絡船は、淡路島に近づくと左転し、島に沿って岩屋港に進みます。そして明石海峡大橋の下をくぐれば、岩屋港はもうすぐです。
      

 岩屋港から海岸沿いに北に進むと白い灯台が見えてきますが、これはイミテーション。イミテーション灯台がある駐車場から石段を登っていくと本物の江崎灯台を見ることができます。この灯台は参観灯台ではありませんので、普通は中を見ることができません。今回は昨年11月の灯台記念日の一般公開の際に撮影した写真を掲載します。
 この地域は平成7年に発生した阪神淡路大震災のときの震源域で、震度7の激震に見舞われました。石段の途中には断層(野島断層)が赤いアスファルト(赤破線)で示されており、昔は直線に並んでいた置石が、断層を境に1.3メートル移動(黄破線)したことを示しています。石段を上ったところで振り返ると、昔は一直線だった階段が途中でずれているのがよく判ります。
      

 江埼灯台は、日本が開国した際に締結した江戸約定に基づき、全国で5箇所(江埼、和田岬、友が島、六連島、部埼)の灯台が建設されたうちの一つで、日本で8番目に建設(前記5箇所以外にも建設したため)された洋式灯台です。日本はその時代、洋式灯台を作る技術がなかったため、江埼灯台は、イギリス人技師、ブラントンの指揮で建設されました。
 建物は家島産の御影石を使い、レンズはイギリスから輸入しました。当時の光源は石油ランプだったため、灯台には退息所という宿舎があり、職員が家族とともに居住していました。滞在は昭和になるまで続けられ、家族や学校に通う子弟は苦労の多い生活をしていました。その様子は映画「喜びも悲しみの幾年月」に見ることができます。
      

 光源は石油ランプからアセチレンガス、そして電気を使用した電球に変わりましたが、光り方は現在も変わっていません。江埼灯台の灯質は、不動赤白互光赤5秒白5秒で、赤と白の光を交互に5秒ずつ発します。仕組みは、中心に電球を置き、その外側に不動3等レンズが置かれています。そして電球とレンズの間の赤いフィルターを回転させているのです。
 電球は2つ付いていて、片方が断線すると、センサーが働いてもう一方の電球に切り替わるようになっています。電球はレンズの中心に正確に位置しなければならないため、特殊な交換器が使用されています。さらに停電になった際には、灯塔内に設置されているバッテリーをインバーターで昇圧し、灯塔外に設置されている非常灯が点灯されるようになっています。
         

 江埼灯台を過ぎ、島の西側、播磨灘に面した道を進むと、大阪湾海上交通センターに続く坂道の入口に至ります。そこからつづら折りの坂道をひたすら登っていくと通称「大阪マーチス」に着きます。ここも灯台記念日には内部の一般公開が行われますが、普段の日でも外階段を伝って建物の屋上に登ることができます。一言職員の方に声を掛けてから上りましょう。
 センターでは海上保安庁の職員が24時間、明石海峡航路やその周辺海域を航行する船舶をレーダーやAIS(船舶自動識別装置)で監視し、情報提供、並びに航行に関する勧告や指示を行っています。明石海峡航路は海上交通安全法に基づく航路です。航路の航行安全はセンターの運用管制官によって守られているのです。
      

 大阪湾海上交通センターがある潮鳴山を降り、岩屋港を通過し、島の東側、大阪湾側に行ってみましょう。ここいら周辺は明石海峡大橋と阪神淡路鳴門高速道路ができてから大きく環境が変わりました。淡路夢舞台という県立の巨大な公園が整備され、公園内にはウエスティンホテルや国際会議場が建設されました。
 今回は公園内の、これも巨大な温室に入ってみました。ここは季節によって展示内容が変わるそうで、訪問したときにはクリスマスと正月の植物が展示されていました。温室内はいくつかのゾーンにに分かれており、例えば「トロピカルガーデン」では熱帯性の植物が南洋の置物とともに、「花と緑のある暮らし」では和の空間を楽しむことができます。行く価値「有り」です。
      
      
      

 淡路夢舞台を出たら更に南に下り、東浦まで行きましょう。東浦バスターミナルから神戸三ノ宮まで高速バスが出ていますので、それに乗って帰ることにしましょう。海岸沿いの道を東浦に南下していくと、途中に小さいけどきれいな砂浜があります。さらに南に進むと、ロンドンのタワーブリッジを真似た橋が架かっており、その向こうには小さな公園もあります。
 実は以前、アレックスは東浦に住んでいたことがあり、小さな娘をこの公園で遊ばせたり、先程の浜でで泳いだりバーベキューをしたものです。近くの畑を借りて野菜も栽培しましたっけ。当時はまだ明石海峡大橋は完成しておらず、神戸に行くには淡路フェリー(大磯〜須磨)を利用しました。ここには自然がたくさん残っており、健康的な生活が送れました。
      

 東浦にはまだ知り合いがいるので、バスターミナルの近くで一杯やっていきましょう。当時3歳だった娘も今は20歳。東浦にやって来ると昔の思い出が蘇るとともに、自分がとても歳を取ったような気になります。さて、あまり遅くならないうちに神戸に帰りましょうか。今はバス一本で神戸に行くことができます。左の写真はバスが明石海峡大橋を渡っているところです。
 「元町からJRに沿って西に行く」は、今回の「その4」で終わりです。お付き合いくださいましてありがとうございました。
第十九話   元町からJRに沿って西に行く その4    

第二十話(最終話)   鉄道博物館
 また引っ越しをしなければならなくなりました。小松島には2年以上居ることができましたが、神戸は1年半を切る滞在となりました。小松島散策(最終話)第三十六話は、編集子が小松島でお世話になったところなどを回顧しましたが、神戸は滞在が短く、また都会ですのであまり思い出があるところがないのが実状です。そこで、鉄道マニアの編集子(それほど重症ではありません)としては、神戸徒歩旅行の最終話で、大阪と京都にある鉄道博物館を紹介したいと思います。
 大阪にある鉄道博物館は、JR大阪環状線・弁天町駅の高架下(一部)にある交通科学博物館、京都にある方は、元の梅小路機関区、現在の梅小路蒸気機関車館です。それでは交通科学博物館から紹介していきましょう。
交通科学博物館
 交通科学博物館はその大部分が鉄道高架下にあります。左の写真は博物館の入口、その左側はJR大阪環状線の高架です。博物館はJR関西のICカード、ICOCAで入ることができますから、恐らくSUICAでも入れるのでしょう。
 交通科学博物館は、英国国立鉄道博物館(NRM)と姉妹提携をしていて、訪れたとき(平成21年)は10周年でした。エントランスにはNRMに展示されている蒸気機関車「マラード」の模型や映画「ハリーポッター」の写真が展示されていました。
 英国は鉄道発祥の地、NRMは世界最大の鉄道博物館です。マラードは蒸気機関車における最速の記録、時速203Kmを保持しています。2001年にはJR西日本から0系新幹線の先頭車両が寄贈され展示されています。
      

      
 館内に入って最初に出迎えてくれるのが昭和初期の一般的な駅を再現したもの。とてもノスタルジーを感じます。でも客車の中の状況は左下の写真のとおり。これで長時間の旅は大変だったでしょうね。
 中央下の写真は新橋停車場、明治時代ですね。この停車場は東京で復元されています。前に行ったときは中の資料室に入れなかったので、東京に引っ越したらまた行ってみましょう。
 右下の写真は開業当時の東京駅丸の内側の駅舎(の絵葉書)です。大正3年に完成したレンガ造りの駅舎は現在修復中で、今年の10月には昔の威容にが復活する予定です。楽しみですね。
      

      
 新幹線0系車両は運転席に入ることができます。高速列車にしては運転台がシンプルな感じです。新幹線は昭和39年に開業して以来無事故。シンプルな装備の見えない部分に安全を担保する仕組みが隠されているのでしょう。
 交通科学博物館には高架下の屋内スペースと高架東側の屋外に多数の車両が展示されています。保存状態はとても良くて、実際に手を触れることができるのがいいですね。
 鉄道ファンにはいろいろな種類のファンがいますが、私の場合は「鉄道があるという雰囲気」ですかね。駅で列車を眺めながら、あるいは列車の中から流れる景色を眺めながら、酒をチビチビ舐めるのが好きです。
      

      
 そんな雰囲気が好きな私ですから、館内で一番気に入ったのは屋外に展示されている列車、マロネフ59とスシ28です。マロネフ59は1等寝台車、スシ28は食堂車です。
 最近は寝台列車や食堂車が連結されている列車がなくなってきました。列車のスピードが速くなり、列車の旅を楽しむ雰囲気が薄くなりつつあります。目的地に行くまでの途中の旅も楽しみたいものですね。
 科学館に展示されている寝台車や食堂車を見ていると、それらに乗って旅をする自分を想像してしまいす。それでしばしばその場に佇んでしまうのです。弁天町の交通科学博物館は私にそんな夢を与えてくれる場所でした。
      
梅小路蒸気機関車館
 梅小路蒸気機関車館は、旧国鉄の梅小路機関区の扇型の機関庫を中心とした博物館です。ここには多数の蒸気機関車が残されているだけではなく、一部動態保存されていて、動いている蒸気機関車を間近に見ることができます。
 石炭が燃える臭い、排気される蒸気の音、鳴らされる汽笛の音、間近に見る蒸気機関車はとても大きく、それらの音には臨場感があります。本物の蒸気機関車を見ることができなくなった現代、ここでの経験は貴重です。
 機関車館の入口は、当時私鉄だった京都鉄道が明治37年に建設した二条駅舎です。この建物は資料館になっており、蒸気機関車の仕組みなどを学ぶことができます。それを通り抜けると機関庫に至ります。
      

      
 資料館ではまず蒸気機関車の動く仕組みを学びましょう。カットモデルがあり、現物を見ながら解説を読むとよく分かります。写真右上は石炭をボーラーにくべる練習台です。石炭が載ったシャベルは想像以上に重かったです。
 梅小路蒸気機関車館では200円で蒸気機関車が牽引するトロッコ客車に乗ることができます。スチーム号と呼ばれますが、日によって牽引する機関車が替ります。行った日は8620型機関車が牽引していました。
      

      
 梅小路蒸気機関車館は、実際に蒸気機関車が目の前で動くのが見えるのがすばらしい点です。スチーム号の他にもイベントで使用された蒸気機関車が帰庫して整備される模様も見ることができます。
 運行が終わった蒸気機関車は灰を捨て、石炭と水を補給し、燃えている石炭に水をかけて消火します。この際に大量の蒸気が排出されます、その様子は迫力ありますよ。
      

 神戸徒歩旅行は本話でお仕舞いです。神戸徒歩旅行を読んでいただきありがとうございました。東京では小松島散策神戸徒歩旅行のような連載ものを投稿する余裕はなさそうです。なにか題材がありましたらお江戸通信で報告したいと思います。ありがとうございました。【アレックス】
第二十話(最終話)   鉄道博物館    
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