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濹上隠士伝

【概要】
【凡例】
【本文】
  1. 濹上の隠士、その名を惟弘といひ、字を保民と呼ぶ。幼名は甲子麻呂、長じて甲子太郎と改む。天保丁酉の年二月甲子に生れし故なり。冠して温字叔厲と称せしかど、諱むべき事ありて、今の名に改めたり。
  2. 其別号は甚だ多し。確堂は、艮齋翁の与へしなれど、三河の老公にふれし故に廃せり。柳北は柳原の北にすむより称せしなり。誰園は、其園の名、春声楼は、其書楼、不可拔齋は、その書室、我楽多堂は、去年造りし一宇の称なり。濹上の荘は、松菊荘とて記文あり。
  3. 隠士は、東岳先生の孫にして、稼堂君の子なり。幼より書を読み、和歌を詠す。詩賦は最好む所なり。十七の冬父にわかる。十八の春 温恭大君の侍講見習となり、幕朝実録編輯の事を督せり。二十歳の冬侍講となり、昭徳公に読書を授け奉る。廿一の冬布衣を命せらる。昔の六位にあたるなるべし。後鑑三百七十五巻訂正の労を賞せられて、黄金御衣を賜ひ、実録編輯の勲に因て、俸を新に増し給へり。
  4. 十年文字を以て、内廷に奉仕し、君恩の優渥なるに感涙せしが、一朝擯斥をうけて、散班に入りぬ。そは風流の罪過によると、或は云ふ狷直に過て衆謗を得ると、或は洋学を主張するの故なりと云ふ。何れにてもよしとして、三年籠居、西学者に就て、専ら英書を攻む。大に開悟せしことあり。
  5. 二十九の秋、突然歩兵頭並に擢でられ、家になかりし千石の禄を賜ふ。其冬騎兵頭並に転じ、仏蘭西騎兵伝習の事を建言し、其命をうけて、翌年より横浜に陣営を造り、大に操練の事を督せり。営築の事、三兵の管轄、みな隠士の手にあり。仏国の教師謝農安は至て親しかりし。三十一の夏に、騎兵頭に登り、二千石に加俸す、その秋、騎兵奉行の事をつとむべきよし命あり。隠士筆硯に成立したけれども、時運に深意ありて、陸軍一局に非常の精神を費せしかど、竟に其志の如くならざるを憤り、病に臥して職を辞しぬ。
  6. 家に臥す僅三十日にて、慶応戊辰の早春に、外国奉行に栄転し従五位下大隅守に叙任す。其月の末に会計の副総裁に進み、参政の班に加はれり。此時は大阪敗走の後なり。隠士会計局の空乏なる折に逢ひ、奮てなせし事もあるべし。其詳はしらず。大君の東台に蟄し給ふ後、隠士三千円の俸金と総裁の職を返し奉りて隠る。時に年三十二。其家は義子信包に譲て、市籍に入るとの風説なり。是より後のなりゆきは、乞丐となるか、王侯となる歟、草野に餓死するか、極楽浄土に生るヽかもはかり難し。
  7. 大痴公曰、隠士生れて、人に短なる所少なからず、色を好むこと甚し、酒を嗜むこと亦甚し。百般の遊戯好まざる所なく、好て人を罵り、世に悖る。何事をなしても、無益の勉強をなさず、やヽもすれば、懶漫を楽んて、撿束せず、これ其短処なり。然れどもまた長処あり。人と争ふ事を好まずして、人に欺むかれず、己に私すると雖も、人の害となることをなさず、遊蕩に耽るといへども、常に家国の安危を心にとヾめり。これ長ずる所ともいふべき歟。
  8. 隠士妙齢より今日に至るまで、遊戯連年、いまだ其倦たるけしきを見す。右の所謂情痴者なる者歟。隠士風雲花月の妙処に逢ふ時は、涎を流し、魂を飛し、酒を把て、陶々として楽む。時に詩歌を草す。所謂風流客なる歟。隠士盛宴に臨み、紅裙前に満るに当て、時として感激扼腕、嬌娜の色も眼に上らず、痛憤按剣の志あり。所謂忼慨悲壮なる者歟。隠士頃者一書を読まず、空々として日を渉る。所謂馬鹿者なる歟。
  9. 蓋隠士の言に曰、われ歴世鴻恩をうけし主君に、骸骨を乞ひ、病懶の極、真に天地間無用の人となれり。故に世間有用の事を為すを好まずと。それ或は然らむ、それ或は然らむ。
  10. 明治元年秋の末 東京 野史氏しるす

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