Last modified at 2002/11/10 17:11
間違いを見つけた有識者のみなさま、こちらまで御一報いただければ幸いです。
- 【概要】
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- 明治維新(1868/9/8)直後に書かれたと思われる自伝。
- 最終段の屹然とした姿勢が胸を打ちます。
- 【凡例】
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- 底本は『柳北全集』(博文館)です。
- 原文は変体かなを含みます。
- 原文は改行がありません。
- 原文は読点のみです。
- 原文には強調点“ヽ”と“○”が各所に付いていますが、入力にあたっては無視しています。
- 原文の漢字が旧字体で、新字体がある場合は、新字体のほうで入力しています。
- 誤字と思われる箇所があってもそのまま入力しています。
- 【本文】
- 濹上の隠士、その名を惟弘といひ、字を保民と呼ぶ。幼名は甲子麻呂、長じて甲子太郎と改む。天保丁酉の年二月甲子に生れし故なり。冠して温字叔厲と称せしかど、諱むべき事ありて、今の名に改めたり。
- 其別号は甚だ多し。確堂は、艮齋翁の与へしなれど、三河の老公にふれし故に廃せり。柳北は柳原の北にすむより称せしなり。誰園は、其園の名、春声楼は、其書楼、不可拔齋は、その書室、我楽多堂は、去年造りし一宇の称なり。濹上の荘は、松菊荘とて記文あり。
- 艮齋 --- 儒家の安積艮齋(あさか ごんさい)。神田駿河台で塾を営むかたわら、渡辺崋山、高野長英ら蛮社と親交により西洋の知識を吸収。1851(嘉永4)年、六一歳で幕府儒官となり、昌平黌教授に就任。
- 確堂 --- 十一代将軍・徳川家斉の子で元・津山藩主の松平確堂(斉民)。三河は松平家の知行地。
- 一宇 --- 一軒の家
- 隠士は、東岳先生の孫にして、稼堂君の子なり。幼より書を読み、和歌を詠す。詩賦は最好む所なり。十七の冬父にわかる。十八の春 温恭大君の侍講見習となり、幕朝実録編輯の事を督せり。二十歳の冬侍講となり、昭徳公に読書を授け奉る。廿一の冬布衣を命せらる。昔の六位にあたるなるべし。後鑑三百七十五巻訂正の労を賞せられて、黄金御衣を賜ひ、実録編輯の勲に因て、俸を新に増し給へり。
- 東岳先生 --- 奥儒者の成島司直(もとなお)。「東岳」は号。
- 稼堂 --- 奥儒者の成島良譲。「稼堂」は号。
- 詩賦 --- 漢語の韻文。
- 温恭 --- 十三代将軍・徳川家定の諡号。
- 昭徳 --- 十四代将軍・徳川家茂の諡号。
- 布衣 --- よみは「ほい」。官位は五位の下(五位までしかない)で、旗本格。ここまでが御目見以上。
- 黄金御衣 --- 金銭と貴人の衣服。
- 十年文字を以て、内廷に奉仕し、君恩の優渥なるに感涙せしが、一朝擯斥をうけて、散班に入りぬ。そは風流の罪過によると、或は云ふ狷直に過て衆謗を得ると、或は洋学を主張するの故なりと云ふ。何れにてもよしとして、三年籠居、西学者に就て、専ら英書を攻む。大に開悟せしことあり。
- 三年籠居 --- 命じられた蟄居期間は三年だが、実際の蟄居期間は一年足らず。
- 西学者 --- 洋学者の溜まり場だった奥医者・桂川甫周宅に出入りしていた。
- 二十九の秋、突然歩兵頭並に擢でられ、家になかりし千石の禄を賜ふ。其冬騎兵頭並に転じ、仏蘭西騎兵伝習の事を建言し、其命をうけて、翌年より横浜に陣営を造り、大に操練の事を督せり。営築の事、三兵の管轄、みな隠士の手にあり。仏国の教師謝農安は至て親しかりし。三十一の夏に、騎兵頭に登り、二千石に加俸す、その秋、騎兵奉行の事をつとむべきよし命あり。隠士筆硯に成立したけれども、時運に深意ありて、陸軍一局に非常の精神を費せしかど、竟に其志の如くならざるを憤り、病に臥して職を辞しぬ。
- 家に臥す僅三十日にて、慶応戊辰の早春に、外国奉行に栄転し従五位下大隅守に叙任す。其月の末に会計の副総裁に進み、参政の班に加はれり。此時は大阪敗走の後なり。隠士会計局の空乏なる折に逢ひ、奮てなせし事もあるべし。其詳はしらず。大君の東台に蟄し給ふ後、隠士三千円の俸金と総裁の職を返し奉りて隠る。時に年三十二。其家は義子信包に譲て、市籍に入るとの風説なり。是より後のなりゆきは、乞丐となるか、王侯となる歟、草野に餓死するか、極楽浄土に生るヽかもはかり難し。
- 大痴公曰、隠士生れて、人に短なる所少なからず、色を好むこと甚し、酒を嗜むこと亦甚し。百般の遊戯好まざる所なく、好て人を罵り、世に悖る。何事をなしても、無益の勉強をなさず、やヽもすれば、懶漫を楽んて、撿束せず、これ其短処なり。然れどもまた長処あり。人と争ふ事を好まずして、人に欺むかれず、己に私すると雖も、人の害となることをなさず、遊蕩に耽るといへども、常に家国の安危を心にとヾめり。これ長ずる所ともいふべき歟。
- 隠士妙齢より今日に至るまで、遊戯連年、いまだ其倦たるけしきを見す。右の所謂情痴者なる者歟。隠士風雲花月の妙処に逢ふ時は、涎を流し、魂を飛し、酒を把て、陶々として楽む。時に詩歌を草す。所謂風流客なる歟。隠士盛宴に臨み、紅裙前に満るに当て、時として感激扼腕、嬌娜の色も眼に上らず、痛憤按剣の志あり。所謂忼慨悲壮なる者歟。隠士頃者一書を読まず、空々として日を渉る。所謂馬鹿者なる歟。
- 蓋隠士の言に曰、われ歴世鴻恩をうけし主君に、骸骨を乞ひ、病懶の極、真に天地間無用の人となれり。故に世間有用の事を為すを好まずと。それ或は然らむ、それ或は然らむ。
- 明治元年秋の末 東京 野史氏しるす
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