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間違いを見つけた有識者のみなさま、こちらまで御一報いただければ幸いです。
- 柳北が入獄中のことを述べた文章で、明治九年六月一四〜二四日にかけて朝野新聞上に掲載。
- 底本は「柳北遺稿」(明治二三年一一月、成島復三郎)です。
- 原文の仮名はすべてカタカナあるいは変体仮名です。変体仮名はひらがなで入力しています。
- 原文のルビは【 】で囲み、難読字は( )で囲みました。
- 強調文字(傍点(○や◎や●やヽ)、下線)はすべて「強調文字」としています。
- 明治8年
-
- 6月28日、讒謗律及び新聞紙条例が公布される。新聞各紙はそのねらい・解釈に苦しむ。
- 7月、東京日々新聞の福地桜痴を発起人として東京各紙が対策を協議し、内務卿・大久保利通宛に伺書を提出することに決定。伺書の作成は福地と柳北。
- 7月20日、曙新聞が、新聞条例を批判した投書「新聞条例ヲ論ズ」を掲載する。曙新聞の編集長は末広鉄腸。
- 8月4日、末広鉄腸が東京裁判所に喚問される。
- 8月7日、末広鉄腸に自宅禁固二ヶ月、罰金二〇円の刑が言い渡される。
- 8月9日、柳北が朝野新聞上で、末広鉄腸の判決に言及、条例を批判する。
- 8月12日、東京日々新聞編集長・甫喜山景雄に自宅禁固一ヶ月、罰金一〇円が言い渡される。
- 8月15日、柳北が朝野新聞上で、末広鉄腸の判決に再度言及。
- 8月15日、8月9日掲載文について、柳北へ警視庁第一分庁に出頭命令。
- 8月17日、柳北が朝野新聞上に「辟易賦」を掲載。
- 8月19日、8月15日掲載文について、柳北へ警視庁第一分庁に出頭命令。
- 8月23日、東京裁判所刑事課で訊問。
- 8月28日、8月9日掲載文について新聞条例第十二条・教唆の罪で五日間の自宅禁固。
- 9月1日、明六雑誌廃刊。
- 10月27日、末広鉄腸を朝野新聞編集長に迎える。
- 12月20日、朝野新聞が法制局二等書記官の井上毅・尾崎三郎を揶揄した戯文を発表。井上・尾崎は讒謗律・新聞紙条例制定者。
- 12月24日、井上毅・尾崎三郎が東京裁判所へ鉄腸・柳北を告訴。
- 明治9年
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- 1月10日、鉄腸が東京裁判所に喚問される。担当は岡田判事。
- 1月15日、柳北が東京裁判所に喚問される。担当は岡田判事。
- 2月3日、担当が鎌田判事へ変更。
- 2月13日、柳北に禁獄四ヶ月、罰金一〇〇円が、鉄腸に禁獄八ヶ月、罰金一五〇円が言い渡される。
- 6月11日、柳北が出獄。
- 6月24日、浅草寺での新聞供養大施餓鬼予告を新聞各紙が掲載する。
- 6月28日、浅草寺で新聞供養大施餓鬼が催される。
- 【要約】
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未知の世界・監獄内部の様子をありのままに紹介しよう。ただし、はじめはともかく、後半の獄内は悪くもなかったので、ショッキングな内容を心待ちにしている人の期待に添えないのは残念だ。
- 【原文】
- 天下不詳ノ地、狴圄(へいご)ニ若クモノ無ク、天下不楽ノ人、獄囚ニ過グルモノ無シ。
- 是レ婦女児童モ能ク知レル所ナリ。
- 然リト雖ども、獄内ノ情況ハ決シテ人間界ニ在テ忖度シ得ルモノニ非ズ。
- 僕今卿等ニ語ル所ノモノハ、豪モ賢人君子ノ気取リヲ以テ所謂負ケ惜ミ痩我慢ノ説ヲ吐クニ非ズ。
- 又、故サラニ善イ子ト為ラント欲シテ、所謂弁茶羅(べんちゃら)ヲ言ツテ官人ニ媚ブルニ非ズ。
- 又、例ノ扼腕切歯(やくわんせっし)ノ流行ニ倣ツテ無益ナル癇癪ヲ起シテ悪口スルニ非ズ。
- 唯是レ一味ノ真率着実ニ説キ出シ来ラントス。
- 僕ノ獄ニ在ルヤ四閲月、其情状前後大ニ変化アリ。
- 要スルニ、始ハ否、終リハ泰前ニ凶後ニ吉ナルモノナリ。
- 是レ則チ、僕ガ怒リ少クシテ喜ビ多キ所以ニシテ、而シテ却テ卿等ニ語ル可キ資本【モトデ】ニ乏シク、或ハ大ニ新聞紙ノ為メニ失望トスルヤ否ヤヲ知ラザル所ナリ。
- 若シ之ニ反シテ事々凶大ニ、否多カラシメバ、僕ト雖ども亦、応ニ一大罵詈(ばり)ヲ以テ卿等ノ為メニ看官ノ喝采ヲ買ヒ得ベキニ。
- 惜イ哉ヽヽ。
- 狴圄 --- =囹圄(れいご)。牢屋のこと。
- 忖度 --- 「そんたく」。他人の心中をおしはかること。
- 扼腕切歯 --- 憤慨したり残念がったりして自分で自分の腕を強く握りしめ、歯ぎしりすること。
- 四閲月 --- 四ヶ月が経過して。「閲」は「経過すること」。
- 看官 --- 読者。
- 【口語】
- 天下において人知れぬ地は監獄をおいて他になく、天下において愉楽なき人は獄囚をおいて他にない。
- これは女子供でもよく知っていることだ。
- ただし、そうは言っても獄内の様子は、娑婆にあっては決して想像できるものではない。
- 僕が今みなさまに語る内容は、賢人君子ぶった、いわゆる負け惜しみや痩せ我慢を全くしていないものである。
- また、再度投獄されるのはまっぴらなので、もっと良い子になろうと、口先だけのいわゆるおべんちゃらを言って官吏に媚びた内容でもない。
- また、例の反骨精神の流行にのって、無駄な癇癪を起こし悪口を吐いているのでもない。
- ただ、獄内のありのままをきちんとお伝えしようとするだけである。
- 僕は獄内に四ヶ月いたが、その前後で獄内の様子には大きな変化があった。
- 要するに、始めは理不尽が多く、終わりは悠々としていて、酷い点が改善したこともあった。
- そのため、僕は獄内にたいして怒りが少なく喜びが多いので、みなさまの好奇心を満たすようなネタに乏しく、文を読んだところでこれでも新聞紙かと失望されるかもしれません。
- もし事実に反して状況が酷く、間違った点が多ければ、僕といえども反骨者よろしく罵って、みなさまの求めるような、読者の喝采を買えるだろうに。
- 惜しいことだ。
- 【メモ】
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- ここで興味深いのは、ありのまま(「真率着実」)の対比語として、改心の物語(「賢人君子ノ気取リ」)、政府へのへつらい(「所謂弁茶羅」)、ありきたりの政府批判(「扼腕切歯ノ流行」)の三つを挙げている点です。冒頭から朝野の敵も味方もコケにしています。
- もっとも、明治政府になんの期待も抱いていなかった柳北自身にとっては、敵も味方も政府に何かしらの期待をもっているという点で、等しく敵だったのかもしれません。
- ともかく、単に気負わないのではなく、普通なら気負ってしまうところに肩すかしをくらわせ、よろけたところですかさず押し切る。これは柳北得意の技です。
- 【要約】
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判事が代わったとたん弁解をしなくなったのは、奇妙な夢のお告げがあったからだ。刑は末広鉄腸とあわせて服役一年と罰金二五〇円。拘留人から禁獄人へ立場が変わったら、少しだけ待遇が良くなった。
- 【原文】
- 曾テ澤田氏ガ二月中ノ新聞紙ニ記シタル如ク、僕ガ二月十二日法庭ニ於テ再度ノ口供ヲ奉リシ時、僕ハ窃カニ罪案ノ軽重ヲ憶測シタリ。
- 且、天意ノ深遠ナル所以ヲ悟リ得タリ。
- 上天ノ戴ハ語ル可ラズ。
- 看官、或ハ二月ノ新聞ヲ読過シテ怪ム者有ラン。
- 何故ニ柳北ハ岡田判事君ニ久シク喋々弁解ヲ費ヤシ、鎌田判事君代テ訊問セラルヽニ及ンデ、復タ一語ノ弁解ヲ為サズして其罪ニ服シタルヤト。
- 是レ至当ノ疑問ト云フ可シ。
- 独リ看官ノミニ非ズ。
- 社中ノ人ト雖ども亦大ニ之ヲ疑ヘリ。
- 僕モ敢テ禁獄罰金ヲ好ムこと、蒲焼牛鍋ノ如キニ非ズ。
- 然ルニ、俄然強項ヲ屈シテ一語ノ弁解ヲ為サヾルニ止マリシハ、抑モ故アリ。
- 僕二月一日ノ夜、奇怪ノ霊夢ヲ見ル。
- 其夢ミル所ハ何ゾ。
- 夢ニ日本武尊赤兎馬ニ跨リ、北氷海喜望峯ノ絶頂ニ出現シ、僕ニ教ヘテ曰ク。
- 汝前世大江山ニ棲ム獅子ノ角ヲ以テ矛ヲ造リ、琵琶湖ニ浮ミシ水母(くらげ)ノ目玉ヲ突キ潰シタル報イヲ以テ、今度獄中ニ繋ガレ、数月間読書ノ苦ミヲ受ク可シ。
- 汝今如何ホド弁解スルトモ、何ノ役ニモ立タズ。
- 徒ラニ長ク拘留ノ責ヲ受ケ、竟ニ上等裁判大審院迄ニモ引キ出サレテ、到底活路無カラン。
- 若シ是レヲ虚言ト思ハヾ、試ニニウトン氏ガ三世相ヲ見ヨヤ。
- ト言フカト思ヘバ驚キ覚メタリ。
- 此ノ霊夢ノ僕ガ心肝ニ銘スルト、鎌田君ノ説諭ノ厚キヲ以テ再ビ弁解ヲ為サズシテ其罪ニ服シタリキ。
- 二月十三日ノ朝ハ風雪霏霏タリ。
- 僕、末広子ト共ニ大白州ニ引出サル。
- 然ルニ僕ニ続ギテ二人ノ書生ラシキ男入リ来リ、相並ンデ立ツ。
- 僕窃ニ思フ、是レ亦新聞記者ナル可シ。
- 如何ナル暴言ヲ吐キ散ラシテ同ジク罰責ヲ受クルヤト。
- 既ニシテ二人ハ即チ、僕輩ガ獄事ノ原告人タル井上尾崎両法制官ノ(代言人デハ御座ナク)名代人タルヲ知リ得テ、始テ蹙々(しゅくしゅく)トシテ頭顱(とうろ)ノ胸腹ニ陥入スルノ思ヒ有リ。
- 仰ギ見レバ、昨日迄ノ御掛リタル鎌田立見ノ両君ハ影ダニ見エズ。
- 未ダ一度モ尊貌ヲ拝セザル。
- 判官並ビ坐セリ。
- 判官ノ変ルこと三度ヽヽノ神ハ正直ト申スことニテ候ヤ、是ニ於テカ益戦々慄々、口ニ万歳楽ヲ唱ヘ交フルニ、念仏題目ヲ以テセリ。
- 判官忽チ声ヲ励マして申シ渡スノ一語ト共ニ、末広子ト総計合セテ一年ノ禁獄、二百五十円ノ罰金ヲ命ゼラレタリ(天恩至寛)。
- 然ル後、往キニ拘留サレタリシ獄内ニ赴ク。
- 今度ハ腰縄モ無シ。
- 且、風雪烈シキヲ以テ蓑笠ヲ貸サレタリ。
- 既ニ獄ニ至ル。
- 衣服ノ検査、拘留ノ時ト同ジ。
- 獄丁、僕輩ニ云フ、汝等何ゾ覚悟ノ善キヤ。
- 襦袢ノ扣鈕、足袋ノ小鈎、一モ奪ヒ去ル可キ物無シト。
- 僕答ヘテ云フ、過日拘留ノ時、老爺尽ク僕ニ教ヘタルニ非ズヤ。
- 故ニ今謹ンデ老爺ノ労ヲ省クト。
- 衆皆笑フ。
- 獄吏忽チ導イテ、艮ノ区内二十二号ノ房ニ入レテ鎖セリ。
- 内ニ禁獄一人居ル(同業ノ人ニハ非ズ)。
- 末広子ハ二十四号ニ入ル。
- 蓋シ艮ノ区ハ禁獄人ノミナリ。
- 禁獄人ハ拘留人ニ比スレバ待遇少シク厚シ。
- 猶勅任ト奏任トノ別ノ如シ。
- サレド奏任ト判任程ノ違ヒハ無キニ似タリ。
- 赤兎馬 --- 三国志演義で、呂布が跨っていた最強の馬。「人中の呂布、馬中の赤兎」
- 北氷海 --- 北極海。もちろん喜望峰はアフリカ南端にあり、北極海にはない。
- 大江山 --- 京都府北西部、丹後地方にある山。その頂上を千丈ヶ岳といい、酒呑童子(源頼光に退治される)が 住んだという窟がある。
- 上等裁判所 --- 二審を行う裁判所。一審が(柳北が判決を受けた)地方裁判所で、三審が大審院。
- 大審院 --- 明治憲法下での最高裁判所。
- 三世相 --- 「さんぜそう」。仏教の因縁説に陰陽家の五行相生・相剋の理を交えて、人の生年月日の干支や人相などにより、三世の因果・善悪・吉凶などを説いた唐の袁天綱の書。(広辞苑)
- 霏霏 --- ひひ。雪・雨などがしきりに降るさま。
- 井上・尾崎両法制官 --- 井上毅と尾崎三郎。当時、讒謗律と新聞紙条例を起草したと噂されていた。
- 万歳楽 --- 即位礼などの賀宴に用いるめでたい雅楽の一つ。
- 勅人 --- 旧制の官吏任命の一形式。高等官中、天皇が親しく任命する。
- 奏任 --- 旧制の官吏任命の一形式。高等官中、内閣総理大臣が奏薦して任命する。
- 判任 --- 旧制の官吏任命の一形式。高等官吏の下に位置し、各省大臣・府県知事など本属長官の権限で一定の有資格者の中から任命する。
- 【口語】
- 以前澤田氏が二月の新聞紙で述べたように、二月十二日、僕が法廷で再度供述させていただいた時、僕は心の中で罪案の軽重如何を憶測していた。
- と同時に、天意の深遠さを悟ることができた。
- 天上の頂上を語る事はできない。
- 読者の中には、二月の新聞紙を読んで怪しんだ方もいるだろう。
- どうして柳北は岡田判事君に長い間ぺらぺらと弁解を費やしたのに、鎌田判事君にかわってからは、訊問されると打ってかわって一語の弁解もせず、その罪に服したのだろうか、と。
- これは尤もな疑問といえるだろう。
- 読者だけではない。
- 社中の人ですら同じように大いに怪しんでいる。
- 蒲焼や牛鍋とは違い、僕もわざわざ禁獄罰金を好んだりはしない。
- さて、強硬姿勢から突如一転、相手に屈して一語も弁解せずに終わったのには、ちゃんと理由がある。
- 僕は二月一日の夜、奇怪な、神のお告げの夢を見た。
- その夢の中身とはどのようなものだったか。
- 夢に、日本武尊が赤兎馬に跨って、北極海の喜望峯の絶頂に出現し、僕にこう教えた。
- 「汝は前世において、大江山に棲む獅子の角で矛を造り、琵琶湖に浮ぶクラゲの目玉を突き潰した。その報いにより、このたび獄中に繋がれ、数ヶ月間読書のままならぬ苦しみを受けたのだ。
- 汝が今どんなに弁解したとて、何の役にも立たない。
- いたずらに長く拘留の責を受け、ついには上等裁判所や大審院にまで引き出されてしまうであろう。そうなったらもう活路など到底期待できなくなる。
- もしこれを虚言と思うなら、試しにニュートン氏の三世相で因果や善悪、吉凶がどうなっているのかを見るがいい」。
- と言い終えるや、驚いて夢から覚めた。
- この霊夢が僕の心身にお告げを銘じたので、僕は鎌田君の温情ある説諭に対して再び弁解するようなことはせず、その罪に服したのである。
- 二月十三日の朝は風雪しきりだった。
- 僕は末広さんと一緒に大白州へ引出される。
- そして僕に続き、二人の書生らしき男が入って来て、並んで立った。
- 僕は内心、彼らもまた新聞記者に違いない、と思った。
- いったいどんな暴言を吐き散らして、僕と同じ罰責を受けたのだろうか。
- ところがこの二人、僕らを告訴した井上・尾崎両法制官の(弁護士ではありませんで)代理人だと知って、粛々と頭が胸腹に陥入するような思いがしてきた。
- 仰ぎ見れば、昨日まで僕らの件を担当していた鎌田・立見の両君は、その影すら見えない。
- 今日はまだ一度もその尊貌を拝めていない。
- 判官が並んで坐っている。
- 判官の変ること三度、三度の神は正直、ということのせいなのか、ここに至ってますます戦々慄々、口に万歳楽を唱えながらも、歌詞が念仏題目になってしまう。
- 判官はにわかに声を大にして、「申し渡す」の一語とともに、末広さんと合せて一年の実刑、二百五十円の罰金を命ぜられた(天恩いたく寛し)。
- その後、法廷へ来る前に拘留されていた獄内に赴く。
- 今度は腰縄もない。
- かつ、風雪が烈しいということで、蓑笠を貸してもらえた。
- 獄内につく。
- 衣服の検査は拘留の時と変わらない。
- 獄卒が僕らに「お前らは何と覚悟のいいことだ」と言う。
- 「肌着の止め紐も足袋の金具も、何一つも奪い去れるものはない」。
- 僕は獄卒に答えて「先日拘留された時、爺さんが全部僕に教えたことでしょう。
- だから、今度は謹んで爺さんの労を省いたのです」と言った。
- 皆が笑う。
- 獄吏がすぐに僕を連れ、北東区内二十二号の牢に入れて鎖鍵した。
- 牢の中には獄囚が一人いる(同業の人ではない)。
- 末広さんは二十四号に入る。
- 北東区は獄囚だけである。
- 獄囚は拘留人と比べて少々待遇が厚い。
- 言うなれば勅任と奏任の間にある、ちょっとした違いに似ている。
- けれども奏任と判任のような大きな違いはない。
- 【メモ】
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- 圧巻なのは、バカバカしいほどナンセンスな夢です。大げさなアイテムを散々もちだしておいて、最後は〈クラゲの目〉と来ます。もう、バカすぎます。
- 内容的に興味深いのは、「拘留人」と「禁獄人」との差異ですが、この両者の差異については後段で何度も話が出てきますので、ここでは割愛します。
- 刑期は四ヶ月で、かつ独房ではないことから、更正に重きをおいた軽犯罪の扱いだったことが分かります。
- 【要約】
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獄舎は昨年末に出来たばかりの二階建てで、形は西洋に倣った十字型、房数は計八〇房。どの房にも必ず一人は新聞記者がいる。昨年六月の新聞条例施行以後、続々と新聞記者がやってきている。
- 【原文】
- 獄内ノ景況ヲ話スルニ於テ、先ヅ其位置ヲ説カザルヲ得ズ。
- 抑モ此獄ノ落成スルヤ、客歳ノ末ニ在リ。
- 而シテ其結構ハ、略ボ西洋ノ牢獄ニ模倣スルモノニシテ、其形チ十字ナリ。
- 楼上楼下、其区ヲ八ツニ分ツ。
- 一句十房々、数合セテ八十。
- 楼上楼下トモ監守ノ吏、中央ニ在テ四方ヲ視察ス。
- 僕ノ二十二号ノ房ニ入ルヤ、集思社ノ横瀬氏、対面ノ房ニ在リ。
- 其他該社ノ小松原山脇二氏、釆風社ノ加藤氏、皆同区ニ分居ス。
- 他囚其中ニ雑居スル者モ亦数名ニ過ギズ。
- 各房寥々トシテ形影相吊スルノミ。
- 既ニシテ各社ノ記者、陸続法網ニ罹リテ此中ニ堕ツ。
- 房々処トシテ新聞記者ナラザル無ク、故ニ記者自ラ一房中ニ同棲セザルヲ得ズ。
- 是ニ於テ乎、遂ニ禁獄世界ノ景況ヲ一変スルニ至リシナリ。
- 僕ト前後同ジク獄中ノ妙味ヲ喫シタル者ヲ左ニ列セン。
- 禁獄 三年 釆風 加藤九郎
- 同 二年半 同 本木貞雄
- 同 二年 評論 小松原英太郎
- 同 一年半 報知 岡敬孝
- 同 一年 評論 山脇巍
- 同 一年 同 中島富雄
- 同 一年 朝野 澤田直温
- 同 十月 釆風 矢野駿男
- 同 八月 朝野 末広重恭
- 同 六月 釆風 杉田貞一
- 同 四月 評論 東清七
- 同 四月 同 鳥居正功
- 同 三月 同 横瀬文彦
- 同 三月 同 満木清繁
- 同 三月 同 柴田勝文
- 同 三月 日報 甫喜山景雄
- 同 三月 釆風投書 宮本千万樹
- 同 三月 朝野投書 西河通徹
- 同 二月 報知 箕浦勝人
- 同 二月 釆風 中島恭雄
- 同 二月 評論 岡本清一郎
- 同 二月 同 中島義勝
- 同 二月 同 高羽光則
- 同 二月 同 渡辺敬之
- 同 二月 同 小松正胤
- 同 二月 報知投書 植木枝盛
- 同 一月 評論 田中直哉
- 同 一月 同 石田知彦
- 合セテ二十八名ナリ。
- 今既ニ出獄スル者殆ド半ニ至ル。
- 未ダ獄内ニ在ル諸子、皆健全ナリ。
- 其親族朋友、宜シク安慰シ給ヘ。
- 而シテ転房有テ前後、僕ト同室シタルハ岡本・宮本・東・柴田・植木ノ五氏ナリ。
- 去年六月新聞条例ノ出シ以来、記者ノ禁綱ニ罹ルノ多キ、実ニ此ニ至テ極点ニ至ルト云フ可シ。
- 〔我輩ハ新聞各社ニ向ツテ之ヲ吊ス可キカ、将タ政府ニ向ツテ之ヲ慶ス可キカ、其慶吊如何ニシテ可ナルヲ知ラズ〕。
- 客歳 --- かくさい。去年。
- 吊する --- いたむ。あわれむ。「吊」は「弔」の俗字。
- 陸続 --- ひっきりなしに。
- 【口語】
- 監獄内部の様子を話すにあたって、まずその構造を説明しなくてはならない。
- この監獄が落成したのは去年の末である。
- したがってその造りは、ほぼ西洋の監獄を模倣したもので、十字形をしている。
- 一階と二階で、あわせて八つの区に分かれている。
- 一区は十牢からなり、合わせて八十牢ある。
- そして、一階と二階の監守係が中央から四方の牢を監視する構造になっている。
- 僕が二十二号牢に入ると、そこには集思社の横瀬氏が対面の牢にいた。
- その他、弊社の小松原山脇二氏、釆風社の加藤氏もみな同じ区に分居している。
- 他の囚人と雑居といっても、一牢せいぜい数名に過ぎない。
- どの牢も物寂しく、他人といえばその影をおがむばかりだ。
- 既に各社の新聞記者は張り巡らされた法の網にかかってこの中に堕ちている。
- 牢という牢のひとつとして新聞記者のいない牢はなく、だから記者はひとつの牢に他の新聞記者と同棲しなくてはならない。
- ここに至って、ついに監獄界の状況は一変したのである。
- 僕が入獄する前後に、同じ獄中の妙味を味わった者を以下に列挙しよう。(略)
- 合わせて二十八名である。
- 今や、既に出獄した者がほぼ半数になる。
- まだ獄内にいる人々もみな健康でいる。
- 彼らの親族朋友の方、どうぞご安心下さい。
- さて、転牢の前後で僕と同室したのは岡本・宮本・東・柴田・植木の五氏である。
- 去年六月に新聞条例が出て以来、記者が検挙の綱にかかることの多さは、実にここに至って極点に達したといえる。
- 〔我輩には、新聞各社にむかって入獄の多さを弔うべきか、また政府にむかって取締の大きな効果を祝うべきか、どんなときに弔ったり祝ったりできるのかが分からない〕。
- 【メモ】
-
- この獄舎の名前は鍛冶橋監獄で、日本初の西洋式監獄でした。ベルギーのルーヴァン監獄を視察した川路利良が、そこの獄舎を真似て造ったと言われています。「此獄ノ落成スルヤ、客歳ノ末」とありますが、これは柳北の記憶違いで、完成したのは一昨年の明治七年です。
- なんといっても興味深いのが獄内の様子です。文章から、獄舎はいわゆる「放射状舎房」であることがわかりますが、網走刑務所とは違い、対面の牢屋と話ができたりしてます。この西洋流の獄舎がどこか裏長屋のように思えてしまうのは気のせいでしょうか。
- 互いに顔見知りである新聞記者が獄内にかなり多かったことが「房々処トシテ新聞記者ナラザル無ク」の記述で分かります。が、牢の数が計八〇なので「合セテ二十八名ナリ」では少々数が足りません。十段落目で「僕ノ獄ニ在ルヤ、禁獄人三十余名ニ及ベリ」とあることから、拘留人をあわせても、かなり空き部屋が多かったかと思われます。娑婆でもここでもご近所さんというわけです(当時の新聞社は銀座の一角に集中していました)。
- 【情報求む】
-
以下、文中に列挙されていた人名です。近所にある豊島区立図書館にあった人名辞典各種で調べました。「?」はそこに載っていない人です。
- 加藤九郎 --- かとう・くろう(1830〜1890)。大阪・真言大谷派寺院出身。新聞各紙に論説を掲載する。出獄後、多くの監獄の実情などを論説として発表、「感化院」の設立を企画し、それまで矯正の意で用いられてきた「懲矯」という語を「感化」に改めさせた。「感化」という語の創始者。
- 本木貞雄 --- ?。
- 小松原英太郎 --- こまつばら・えいたろう(1852~1919)。御野郡青江村(岡山市青江)生。鰻問屋の長男。藩校で漢学を学び、1874(明治七)年上京、慶應義塾入学。1875(明治八)年より曙新聞、評論新聞に執筆。1876(明治九)年一月「圧制政府転覆すべき」の論説を掲載し禁獄。1878(明治一一)年出獄、朝野新聞社へ入社。1879(明治一二)年岡山で「山陽新報」発行。1880(明治一三)年外務省、1884(明治一七)年ベルリン駐在、1887(明治二〇)年帰国。のち内務大臣秘書官兼参事官、埼玉県知事、内務省警保局長、静岡県知事、長崎県知事、司法次官、内務次官、貴族院議員(1900(明治33)〜)、大阪毎日新聞社社長(1900(明治33)〜1903(明治36))、文部大臣兼臨時農商務大臣、枢密院顧問。
- 岡敬孝 --- 郵便報知の創刊に関わった。
- 山脇巍 --- のち朝日新聞。
- 中島富雄 --- ?
- 澤田直温 --- さわだ・ちょくおん(1834〜1896)。加賀能美郡生。幼名・市太郎、のち覚之助。1862(文久二)年に藩命で江戸に出て大村益次郎門下となり、蘭学を修める。航海術を海軍操練所に、測量術を近藤某に学び帰郷、藩の軍艦乗組となる。再び江戸へ出て英学・測量術を修め、藩の軍艦所教授となる。明治になって欧州へ遊学、朝野新聞社へ入社。
- 矢野駿男 --- 明治一四年七月、明治憲法草案を書いた(らしい)。
- 末広重恭 --- すえひろ・しげやす(1848〜1896)。号・鉄腸。伊予宇和島生。父は代々の藩勘定役。十三歳のとき藩校・明倫館へ入学、1869(明治二)年に同校教授。1870(明治三)年上京、林鶴梁の門下になるも、すぐ京都陽明学者・春日潜庵に師事。1872(明治五)年帰郷、神山県(今の宇和島)知事、愛媛県知事となる。1874(明治七)年大蔵省官吏。1875(明治八)年四月曙新聞入社。1876(明治九)年朝野新聞入社。1888(明治二一)年政治小説「雪中梅」「花間鶯」の印税で欧州へ遊学、翌年帰国。朝野新聞を退社後関西日報、さらに大同新聞へ。1890(明治二三)年代議士。1892(明治二五)年選挙落選、シベリア〜華北地方を遊覧。1894(明治二七)年再選、全院委員長に就任。1896(明治二九)二月五日歿。血の気の多いあたり、たとえるなら小林よしのりといったところか?
- 杉田貞一 --- ※正しくは「杉田定一」 すぎた・ていいち(1851~1929)。越前国坂井郡波寄村生。幼名・鶴吉郎、号・鶉山。松井耕雪、吉田東篁の塾に学ぶ。1875(明治八)年に「釆風新聞」を創刊。計三度の禁獄を受ける。明治一四年に福井県県議員・初代副議長。明治二二年(第一回総選挙)より代議士。衆議院議長を務める。
- 東清七 --- ?。
- 鳥居正功 --- 「評論新聞」「中外評論」の後継雑誌「文明新誌」を明治九年十一月に創刊。杉田定一らと自由民権運動に参加。
- 横瀬文彦 --- 『西洋養生論』翻訳者。「運動の事」で運動の科学的意義に言及。
- 満木清繁 --- ?。
- 柴田勝文 --- ?。
- 甫喜山景雄 --- 「通俗支那事情」編集長。
- 宮本千万樹 --- ?。
- 西河通徹 --- ?。
- 箕浦勝人 --- みのうら・かつんど(1854〜1925)。あの簡保を創った人。実相寺愚山の次男。長じて臼杵藩(大分県)の近習側用人・箕浦家を継ぐ。幼年に熊本・自習館に学び、1871(明治四)年上京。1875(明治八)年慶應義塾を卒業し、郵便報知に入社。のち代議士や逓信大臣。
- 中島恭雄 --- ?。
- 岡本清一郎 --- ?。
- 中島義勝 --- ?。
- 高羽光則 --- ?。
- 渡辺敬之 --- ?。
- 小松正胤 --- ?。
- 植木枝盛 --- 有名なので説明は省略。若い頃はあちこちによく投稿していたらしい。
- 田中直哉 --- ?。
- 石田知彦 --- ?。
- 【要約】
-
袴に草履姿の監守はひどいもので、歩くことも話すことも許さない。これぞまさに入獄当時の最悪の部分である。監守がずっとこんな調子だったら寿命が縮まってしまう。
- 【原文】
- 僕ノ獄ニ入リシ時ニ当テ、獄内監守ノ吏、未ダ巡査ニ変ゼズ
- (警視庁ノ管轄ニナリシトハ聞ケド、旧来ノ獄吏ニシテ僕ラヲ叱責スルこと、頗ル厳刻ナリキ。
- 其人大半袴ヲ着ケ、麻裏草履ヲ穿チ、蔌々【バタヽヽ】然トして前廊ヲ巡行シ、蒼鷹ノ如キ巨眼ヲ張テ僕輩ノ房内ヲ睨視ス。
- 豪モ規則ニ触ルヽこと有レバ、叱責ヲ受クルこと盗児輩ト一般、其規則頗ル厳粛ナリ
- (此規則ト称スルモノハ禁獄人ノ規則ニハ非ルノ憶説アリ。
- 僕ガ後段ニ説キ出スヲ待テ)。
- 故ニ同業ノ徒一人モ叱責ニ遇ハザル者無シ。
- 僕ガ如キ惴々(ずいずい)タル怯丈夫【ヨワムシ】ト雖ども、猶数次ノ御叱リヲ蒙リタリキ。
- 其中マタ冤罪無キニシモ非ズ。
- 一日壁ニ向テ独語ス。
- 獄吏忽チ叱シテ曰ク、汝何ゾ隣房ト語ルト。
- 一日扃(かんぬき)ニ倚(よ)テ呻吟(しんぎん)ス。
- 又忽チ叱シテ曰ク、汝何ゾ前房ト話スルト。
- 衣ヲ振ツテ虱ヲ捫スレバ乃チ曰ク、汝何ゾ正坐セザルト。
- 起テ壁間ノ塵ヲ掃ヘバ乃チ曰ク、汝何ゾ猥リニ歩行スルト。
- 甚シキニ至テハ、一夜同房ノ人、腹痛ヲ患フ(医官ノ急診察ヲ乞フ程ニモ非ズ)
- 僕其ノ苦悩ヲ問ヒ、其人是ニ答フルノ際、俄(にわか)ニ房外声有テ云フ、汝何ゾ点灯後ニ私語スルト。
- 僕弁解モ面倒ナレバ、恐入候ノ三字ヲ以テ答フルノミ。
- 然ルニ天運循環(少シ言ヒ方ガ大キ過ギルカ知ラ子ド、囚人ノ身ニ取リテハ)シテ巡査ノ監守ニ変ゼシヨリ、警視ノ官吏ガ注意スルニ因ルカ、政府ノ法律ガ開明ニ進ミシカ、獄内ノ規則、厳ハ固ヨリ厳ナレども、僕輩ガ心ニ憤リ、腹ニ悶スルガ如キ一種言フ可カラザルノ苦悩ヲ免レタリ(未ダ一、二ノ改定ヲ乞ヒタキこと無キニ非レども)。
- 是僕ガ前段ニ於テ、始否終泰前、凶後吉ト説キタル所以ノモノナリ。
- 若シ僕輩ヲシテ長ク彼ノ袴ト草履トヲ以テ監守スル人ノ手ニ在ラシメバ、今日ニ至ル迄、医局ノ薬剤幾千万匙ヲ費ヤシ、僕輩ノ命脈ヲ幾分カ短縮スルニ至リシナラン。
- 嗚呼、恐ル可キ哉。
- 僕輩、此ノ警視革命以前ヲ称シテ着袴時代ト云フ。
- 僕将ニ詳ニ革命前後ノ異同ヲ後段ニ説キ出ス可シ。
- 【口語】
- 僕が監獄に入った当時、獄内監守係はまだ巡査に変わっていなかった。
- (警視庁の管轄になったとは聞いていたが、看守は旧来の獄卒のままで、僕らへの叱責はすこぶる厳酷だった。
- 監守の大半は袴姿で、麻裏草履を履き、バタバタと重苦しい足取りで廊下を巡行して、老練の鷹のような巨大な眼を見張っては僕らの牢の内を睨みつける。
- 少しでも規則に障ることがあれば、盗人と変わらぬ叱責を受けるのだが、その規則というのがすこぶる厳粛なのである。
- (この「規則」と称するものは獄囚の規則とは違う、という仮説がある。
- 僕が後段にそれを説明するのを待て)。
- したがって、同業のただの一人も叱責にあったことがない人はいない。
- 僕のようなひょろひょろのびくびくした弱虫とて、御叱りは数回蒙った。
- 叱責の中には冤罪が無くはない。
- ある日は、壁に向って独り言を言っていた。
- たちまち監守がこう叱責する。「どうしてお前は隣牢と話すのか」。
- ある日は、閂によりかかってうめいていた。
- またもや、すぐにこう叱責する。「どうしてお前は前牢と話すのか」。
- 服を振って虱を退治すれば「どうしてお前は正坐しないのか」と言う。
- 起きて壁のところの塵を掃けば「どうしてお前はむやみに歩くのか」と言う。
- 甚しきに至っては、ある夜、同じ牢の人が腹痛を患った(医官に急診を頼むほどではない)ときのこと。
- 僕が「どれくらい痛むのか」と訊ね、その人が答えようとした時、にわかに牢の外から声がした。「どうしてお前は消灯したのに私語をするのか」。
- 僕は弁解するのも面倒だったので、「恐入候」の三文字だけで済ませた。
- さて、天運が循環して(少し言い方が大げさ過ぎるかもしれないが、囚人の身にとっては)巡査が監守をするように変わってからは、警視の官吏が注意するからなのか、政府の法律が開明の方向へ進んだからなのか、獄内の規則は、もちろん厳しいことは厳しいのだが、僕らの心が憤り、腹が悶えるような、一種の言いようのない苦悩を与えるようなものではなくなった(まだ少々改正をお願いしたい事がないことはないのだが)。
- これこそが、僕が最初の段落で「始めは理不尽が多く、終りは悠々」「酷い点が良くなった」と説明した理由である。
- もし僕らが長期間、かの袴と草履姿の監守の手にあったなら、今日まで医局の薬剤を幾千万匙も費やし、僕らの命をも幾分か早めることになっていただろう。
- ああ、恐るべきや。
- 僕らは、この警視革命以前を「袴着時代」と称している。
- 僕は後段で、この革命前後違いを詳しく説明するとしよう。
- 【メモ】
-
- 監守はおそらく、無教養で横柄な薩摩郷士だったのでしょう。成り上がりの薩摩郷士は日本史上最悪最醜の人種です。
- さて、川路利良が警視庁を創ったのが一八七四(明治七)年一月一五日、この「着袴時代」が一八七六(明治九)年二〜三月。年表だけを見ていると、警視庁ができてからすぐに「おいこら邏卒」が近代的なお巡りさんになったような錯覚を受けますが、実際は二年強の開きがあることになります。
- 西南戦争が一八七七(明治一〇)年ではなく、一八七五(明治八)年あたりに勃発していたら、あるいは歴史は変わっていたかもしれません。
- 【要約】
-
獄卒の恐ろしさは、その暴挙もさることながら、不条理を不条理とも思わない、その愚かさから来ている。
- 【原文】
- 昔々四百余州ノ執権、職ト為リ、主人ノ身代ヲ後家ノ一類ニ横取リセラレントスルヲ一人デ持怺(こら)ヘタルノミナラズ、百万ノ軍勢ヲ手足ノ如ク働カセシ。
- 絳(あか)侯トカ云フ先生モ、生涯一度獄吏ニ出逢テ辟易シ、鬼神ノ如ク恐怖シタリト。
- ソリヤ全ク伝記作者ノ筆ノ綾ト思ヒノ外、今度ハ思ヒ中リタリ。
- 僕ノ入獄セシ初メ(所謂着袴時代)獄吏ノ貴キハ論ヲ俟タズ。
- 一月五円ノ獄丁殿モ、僕輩ヨリ之ヲ見レバ其貴キこと、蝦夷人ノ義経ニ於ケルガ如シ。
- 何ヲ以テカ之ヲ恐ル。
- 彼レ能ク我ガ死命ヲ制スルヲ以テナリ。
- 然リト雖ども所謂獄丁殿モ亦人ナリ。
- 善有リ悪アリ才アリ愚アリ。
- 豈尽ク悪鬼羅刹ノ如キ根性ノ男ナランヤ。
- サレド僕輩囚人ヨリ之ヲ見レバ、中々以テ尋常ノ人間トハ思ハレズ、是レ其ノ貴キこと勅任以上ニ比較スル所以ナリ。
- 僕輩ニ日々食ヲ与ヘ水ヲ与ヘ薬ヲ与ヘ、其他百般ノ事、一トシテ獄丁ノ手ニ出デザルモノ無シ。
- 就中恐ル可キハ、溺器(獄内之ヲ便器ト云フ。
- 大小便スルコレヲ詰【ツメ】ト称ス。
- 獄中ノ説文ヲ按ズルニ曰ク、詰トハ詰ツテ出ルノ義ナリト。
- 其レ然ランカ)ヲ洗滌スル処ニ赴ク時ナリ。
- 獄丁一個来リ。
- 縄ヲ以テ僕輩二、三名ヲ一束【タバ子】ニ縛ス。
- 菜売【ヤホヤ】ノ蘿蔔【ダイコン】ヲ束子ルト一様。
- 不幸ニシテ最モ苛刻ナル男ニ出逢ヘバ、其ノ縄ヲ酷ニ括リ小意地悪ク引キ立テ行ク。
- 情態、実ニ言語ニ絶セリ(諸君、宜シク諒察アレ)。
- 僕輩ハ其罪既決、何ヲ苦シンデ脱走センヤ。
- 満期迄ハ出デ往ケト云フモ、條理無クテハ出デ往クヲ好マズ。
- 然ルニ何ゾ束縛ノ厳、斯クノ如キヤ。
- 且、僕輩ハ罪ヲ政府ニ獲タリ。
- 未ダ罪ヲ獄丁ニ獲ズ。
- 然ルニ凌辱ノ甚シキ、僕ノ如キ痛癢【イタサカユサ】ヲ知ラヌ愚人モ、少シク心ニ不平ヲ懐キ、意中窃ニ、此ノ老漢、他日獄中ノ人減【ヘ】シニ出逢ヒ、衣食ニ困ミ、新聞社ニ電信ヲ求メ、配達人ヲ熱中スルトモ、僕輩必ズ会計課ニ上告シテ之ヲ打払ス可シ、ト思ヒシ程ナリ(今日ニシテ之ヲ思ヘバ、実ニ一大笑)。
- 然ルニ革命後ハ溺器洗滌往来ノ腰縄ヲ廃シ、獄丁モ頗ル待遇ヲ改メタリ。
- 是レ亦泰否一変中ノ一事タリ。
- 着袴時代ニ膺テハ、獄丁ノ異ナルガ如シ。
- 其貌ヲ見レバ、美丈夫アリ醜男子アリ、其面猿ノ如キアリ狐ノ如キアリ、其頭瓢ニ似タル有リ瓶ニ似タルアリ。
- 千状万態、僕輩ノ眼中ニハ斉シク之ヲ鬼ト視做セド、其心温柔慈恵ニシテ大ニ僕輩ヲ憐レム者アリ。
- 其志慷慨悲壮ニシテ、窃ニ僕輩ト嘆ヲ同ウスル者モ有リタリ。
- 其内一個、淡泊毒無クシテ、太ダ痴ナル男有リ。
- 日ニ来テ薬ヲ賦【クバル】ス。
- 各房ニ高ク叫ンデ曰ク、水薬有ルカ、丸薬有ルカ、何ダ成島カ、何ニ末広ダト。
- 一日満木清繁子コレヲ揖シテ曰ク、賦薬中、満木ノ名有リヤト。
- 彼レ大声ニソンナ奴ツハ無イト答ヘテ去レリ。
- 其ノ非凡ナルこと斯クノ如シ。
- 最モ注意ス可キハ、時トシテ破布【ボロ】英断ヲ以テ、附薬ト飲薬トノ口諭ヲ誤マルこと有リ。
- (僕ノ同房一名、附薬ヲ飲ミ嘔吐シタルことアリ。
- 僕、其名ヲ記セズト雖ども、其痴漢、平生ノ気力ニ似合ハズ、医官ニ告ゲテ呉レルナ、ト謝シタルことヲ、己レガ心ニ忘レハスマジ)。
- 同業ノ人、後日誤ツテ獄ニ入ル者、宜シク注意シテ格子ノ間ヨリ薬瓶ノ筆記ヲ窺ヒ見テ、而シテ後、之ヲ受用ス可シ。
- 決シテ嘔吐シタル跡ニテ獄丁ノ粗忽ヲ咎ム可カラズ。
- 彼レ等、若シ能ク字ヲ識リ事ヲ解シ、萬ニ一失無キ人タラバ、何ゾ久シク獄丁ト為ツテ僕輩囚人ノ伝姆タル者アランヤ。
- 四百余州 --- 中国大陸全土。
- 執権 --- いわゆる執権なのか、はたまた人名なのか、不明。
- 職 --- 律令制でいうところの高級官僚。
- 一月五円 --- 当時、だいたい米1合=1銭。一日三合×三〇日=九〇銭なので、食うに困るほどの給料ではない。ちなみに柳北の朝野新聞初任給は一〇〇円で、福地桜痴の二〇〇円に比べて随分安いと言われていた。
- 溺器 --- じょうき。でっき。おまるのこと。
- 獄内之ヲ便器ト云フ --- 「便器」は「詰器」の誤植か。
- 伝姆 --- もり。子守のモリのこと。
- 【口語】
- 古代中国の執権というものは、政を司る官位につくと、主人の身代が後家一派に横取されようとするのをたった一人で阻止したばかりでなく、百万の軍勢を自分の手足のように働かせた。
- 絳侯とかいう先生も、一度獄吏に出会って辟易し、獄吏のことを生涯鬼神のように恐ろしがったと言う。
- そりゃ全く伝記作者の筆のあやと思いのほか、今度は自分がそう思ってしまうことになったのである。
- 僕が入獄した当初(いわゆる袴着時代)、獄吏が貴い存在であったのは論を待たない。
- 一月五円の獄卒殿も、僕らから見ればその貴さは、蝦夷人が義経を見るようなものだ。
- どうして僕らは彼らを恐れるのか。
- 彼らは我らの生死をどうにでもできるからである。
- そうはいっても、獄卒殿もまた人である。
- 善い面も悪い面もある。賢さも愚さもある。
- どうしてすべての獄卒殿が悪鬼羅刹のような根性をした男であろうか。
- しかし僕ら囚人から獄卒殿を見れば、どうしたって尋常の人間とは思われず、その貴さから獄卒殿を勅任以上の位と比較してしまうのである。
- 僕らに日々食を与え水を与え薬を与え、その他諸事百般、一つとして獄卒の手によらないで出てくるものはない。
- とりわけ恐るべきは、溺器(獄内ではこれを便器をいう。
- 大小便することを詰と呼ぶ。
- 獄中の説文を調べてみると、詰とは詰って出る意味だとある。
- なるほどそうだ)を洗浄する場所に赴く時である。
- 獄卒が一人来た。
- 縄で僕ら三名を一束ねに縛る。
- 八百屋のが大根を束ねるのと同じ様だ。
- 不幸にして最も苛刻な男に出逢ってしまったら、その縄でぐいぐい縛られて小意地悪く引き立てられてしまう。
- 心のやり場のなさときたら、実に言語に絶する(諸君、どうかお察し下さい)。
- 僕らは罪が既に確定しており、何を苦しんで脱走などするだろうか。
- 刑期が終わるまでは、出て行けと言われても、尤もな理由がなくては出ていきたいとも思わない。
- それなのに、どうしてこれほどまでに厳しく束縛するのか。
- かつ、僕らは政府に対して罪を持っている。
- 獄卒に対しては未だ罪を持っているのではない。
- それなのに凌辱の甚しさときたら、僕のような痛さ痒さを知らない愚人でも、少なからず不平を覚え、内心、この老漢がいつの日か獄中の人減らしでクビになって衣食に困り、新聞社へ電信員になりたいとやってきたり、配達人を希望してきたりしても、僕らは会計課に訴えて、獄卒の採用を絶対に阻止してやる、と思ったほどである(今にして思えば、実に一大お笑い草)。
- そうだったのが一変、革命後は溺器洗浄の往来における腰縄が廃され、獄卒も僕らへの待遇を大きく改めたのだった。
- これもまた理不尽が泰然へと一変した中のひとつである。
- 袴着時代と比べると、獄卒が別人に変わったようである。
- その容貌をみれば、美男子も醜男子もおり、その面は猿のようなのもいれば狐のようなのもおり、その頭は瓢箪に似たのも瓶に似たのもいる。
- 姿は千差万別で、僕らの眼には等しく鬼にしか見えないのだが、その心は温柔慈恵、大いに僕らを憐れむ人がいる。
- その志は悲憤慷慨、内心で僕らと嘆きを同くする者もいた。
- そんな中に一人、淡泊で毒がなく、たいそう愚かな男がいる。
- 毎日来て薬を配る。
- そこで、各牢へ高らかにこう叫ぶ。「飲み薬はあるか、丸薬はあるか、なんだ成島か、なに末広だと」。
- ある日、満木清繁さんがこれに呼応して「配っている薬の中に、満木の名はあるか」と言った。
- 彼は大声で「そんな薬はない」と答えて去った。
- その非凡さはこんな感じである。
- 最も注意しなくてはならないのが、時々とんちきな英断により、塗り薬と飲み薬を取り間違えることである。
- (僕と同じ牢の一名が、塗り薬を飲んで嘔吐したことがある。
- 僕はここで彼の名を記さないが、この愚者は、平生の剛毅に似合わず「医官に告げないでくれ」と謝したことを忘れはしないだろう)。
- 同業の人、そして後日誤って獄に入る者よ、格子の間から薬瓶の筆記を窺い見て、そうした後にはじめて服用するよう、くれぐれも注意して戴きたい。
- 決して嘔吐した後から獄卒の粗忽を咎めてはならない。
- 彼らがもし、字がきちんと読めてその意味を理解でき、万に一つの失敗がない人であったなら、どうして獄卒を務めて久しいのに、いまだ僕ら囚人のお守り役にとどまっていることがあるだろうか。
- 【メモ】
-
- 憤怒に溢れた段落。最後の部分にあるように、獄卒が文盲だったとは考えにくいですが、ろくな規則もなく、気の向くままに大声で当たり散らす獄卒は、柳北の目には人間以下の穢らわしいものと映ったに違いありません。さしずめ、猿に捕らわれた人間、といったところでしょうか。
- 【要約】
-
古来、どんな圧制下でも牢屋で書物を読むことくらいはできたのに、袴姿の獄卒はそれすらろくに許さなかった。しかし理不尽な袴着が道理の分かる巡査に変わってからは、読書の享を受けられるようになった。
- 【原文】
- 古来、暴虐厭制ノ甚シキ夏桀、殷紂ヨリ甚シキハ無シ〔羅馬ナゾノ帝王ニモ随分恐ロシキ人有レド〕。
- 其紂王ノ時代デスラ、文王ハ禁獄中ニ読書ドコロカ著述スルことヲモ許サレタリ。
- 況ヤ我ガ大日本明治九年ノ今日ニ於テヲヤ。
- 故ニ拘留ノ徒ト雖ども、読書ヲ禁ズルこと無シ。
- 僕輩禁獄人ノ如キハ、随意ニ読書スルヲ得ルハ固ヨリ怪ムニ足ラズ。
- 〔獄内、未ダ筆墨ヲ与フルことヲ許サズ。
- 故ニ著述ニ至ツテハ断念セザルヲ得ズ。
- 詩文ノ如キモ随テ作リ随テ忘ル。
- 是レ一大憾也。
- 僕輩窃ニ思フ。
- 文士、幽閉一、二年ノ久キニ至ル者、或ハ有用ノ著作無シト云フ可ラズ。
- 且、禁獄人ハ其罪既決、筆墨ヲ弄セシムルモ亦何ノ害アラン。
- 密ニ内外ノ信ヲ通ズルガ如キハ、固ヨリ其禁防ノ厳ナルアリ。
- 希クハ檻倉ノ長吏、宜シク適宜ノ法ヲ定メテ筆墨ヲ給与セラレンことヲ。
- 是レ僕ガ改定ヲ乞ヒタキ条件ノ一ナリ〕。
- 僕ノ入獄セシ時、各房一巻ノ書無シ〔加藤氏ノ如キハ殆一月ノ久キニ及ベども〕。
- 僕、好ンデ柳々子ノ文ヲ読ム。
- 且ツ先人手訳ノ柳文アリ。
- 薄様摺合本三巻。
- 旅行モ必ラズ携フ。
- 決罪ノ日、一巻懐ロニシテ往ク。
- 衣服検査ノ吏人、帯褌ト共ニ其書ヲ与ヘズ。
- 獄吏ニ対シテ云ウ、聞ク、獄内読書ヲ許サルヽト。
- 後日此書ヲ乞ヘバ、速ニ附与セラレンことヲ願フト。
- 吏曰ク、諾。
- 既ニして監守ノ吏ニ向テ携フル所ロノ柳文一巻ヲ与ヘラレンことヲ乞ヘリ。
- 吏又曰ク、諾。
- 早速其事ヲ伺フ可シ、ト。
- 爾後数日、更ニ消息無シ。
- 屢(しばし)バ之ヲ問フ。
- 一吏来リ。
- 告ゲテ云フ、柳文ノ儀ハ渡スこと相成ラズ、ト。
- 僕大ニ惑フ。
- 乃チ問フテ曰ク、然ラバ何等ノ書カ能ク読ムことヲ得ベキ。
- 吏曰ク、既ニ許可アルノ書四部アリ。
- 左伝ナリ、名臣言行録ナリ、日本外史ナリ、一部ハ忘レタリ。
- 僕曰ク、サラバ左氏ヲ家ヨリ取寄セタシト。
- 吏又曰ク、相成ラズ。
- 囚人差入ヲ乞フノ書、必ラズ代価ヲ本人ノ家ヨリ出ダシ、御用ノ書肆、須原屋ヨリ納ムルヲ例トス、ト
- 〔誰カ図ラン。
- 新聞記者ノ禁獄多ケレバ須原屋ノ利益随テ多ク、記者ノ禍ハ反テ書肆ノ福トナル。
- 之ガ為メニ一噱(きゃく)〕。
- 僕曰ク、何ンデモ宜ロシウ御座ルカラ、早ク願ヒ升。
- 吏又曰ク、諾。
- 此諾、三度ノ神ハ正直ニシテ、実ニ二月二十三日ノ亭午【ヒルゴ】ニ至テ左氏十五本ヲ房中ニ投ゲラレタリ。
- 是ニ於テカ、始テ幽閉ノ憂悶ヲ一洗シテ、仰デ古人ト晤スルヲ得ル。
- 真ニ入獄以来ノ快挙ナリキ。
- コレニ先ダツ数日、対面ノ房、横瀬氏ノ友人ヨリ、同氏ニ贈ルニ史記一部ヲ以テス
- 〔此書ハ所謂須原屋保証ノ書ニハ非ザルトノこと、真ニ一大僥倖〕。
- 横瀬氏、喜色面ニ溢レ直チニ把テ之ヲ読ム。
- 意気揚々。
- 僕ハ数日来、頗ル書ニ渇セリ。
- 其声ヲ聴クニ及ンデ、艶羨甚シキこと、宛モ鰥夫【ヤモメ】面前ニ美人ヲ擁スルモノヽ如シ。
- 横瀬氏、独リ欣々トシテ僕ニ一巻ヲ分チ貸サズ。
- 人ヲシテ少シク忿恨ニ堪フル能ハザラシムルニ至レリ。
- 〔各房飲食ヲ分ツことヲ禁ズ。
- 況ヤ書冊ヲヤ。
- 貸サヾルハ同氏ノ吝ニ非ズ。
- 是レ着袴時代ノ風習ナリ。
- 然ルニ革命ノ後ニ及ンデ、各房読了ノ書ヲ交易シテ読ムことヲ許サル。
- 而シテ其事ヲ檻倉課ニ懇請シタルハ同氏ナリ。
- 今日禁獄ノ書籍ニ乏シカラザルハ皆同氏ノ賜ノニして、之ヲ許セシハ檻倉課長ガ慈恵ノ厚キニ因ル。
- 僕、固ヨリ課長ヲ知ラズ。
- 皆云フ、身短クシテ髯ノ美ナル人ナリト。
- 又云フ、姓ヲ石澤ト云フ。
- 僕、時々短身美髯ノ人ヲ見タリ。
- 恐ラクハ其人ナル可シ。
- 課長能ク百事ニ注意シ、人ヲシテ冤屈ヲ訴ヘ、憂憤ニ堪ヘザルノ事ナカラシム。
- 就中文学ノことニ至テハ大ニ意ヲ用フル所ロ有ルガ如シ。
- 看守ノ巡査中ニ於テハ河田(四本筋)ト云フ人、能ク事理ニ明カナリシ。
- 之ニ次グハ清水三本筋ト云フ人ナリ。
- 其他猶囚人ヲ看護スル、厚ク待遇スル正シキ人多カリシナレド、一々其姓名ヲ聞ク能ハズ。
- 惜シム可シヽヽ。
- 是レ等ノ事ハ、決シテ僕ガ今日ニ至リ口ヨリ出任カセノ佞辞ニハ非ラズ。
- 世人、若シ之ヲ僕ノ一家言ト疑ハヾ、宜シク同業二十八名ノ禁獄人ニ問フ可シ。
- 然リト雖ども、獄内巡査ノ交代スル数回ニして、其数ヲ識ラズ。
- 多キ中ニハ謹ンデ世間流行スル賢明ノ二字ヲ奉ル可キ御人物、無キニシモ非ズト云ヘリ。
- 僕輩、実ニ其然ルヤ否ヤヲ保証スルことハ御免。
- 【口語】
- 〔ローマなどの帝王の中にも随分恐しい人があるとはいえ〕古来より為政者の中で、暴虐の甚しさにおいては夏の桀、殷の紂を凌ぐ者はいない。
- その紂王の時代ですら、文王は禁獄中に読書どころか著述すらも許されていた。
- 我が大日本の明治九年の今日の日は言うまでもない。
- だから拘留人といえども、読書を禁じられはしない。
- 僕ら獄囚のような者が気ままに読書できるのはもちろんの事だ。
- 〔獄内では、未だ筆墨を与えるのを許していない。
- よって、著述については断念せざるをえない。
- 詩文なども作っては忘れてしまう。
- これは大いに遺憾なことだ。
- 僕らは内心、こう思う。
- 一、二年もの久しい間幽閉された文士のことを、有用な著作がないと言ってはいけないのかもしれない。
- かつ、獄囚はその罪が既に確定しているのに、筆墨を弄させるのにこれ以上何の害があるというのだろうか。
- ひそかに内外と交信するような行いには、もちろん厳しく禁止・防止されている。
- 願わくば、牢獄の獄長がしかるべく法を適宜定め、それに則って筆墨を与えてくれればよいのだが。
- これは僕が改正をお願いしたいことである〕。
- 僕が入獄した時、各牢には一巻の書もなかった〔加藤氏などは書のない日々が殆ど一ヶ月の久しい間に及んでいたが〕。
- 常日頃、僕は好んで柳々子の文を読んでいた。
- 先人の手による柳々子の翻訳ももっていった。
- 薄様摺の合本が三巻である。
- 旅行のときも必ず携えていた。
- 判決の日、一巻を懐に法廷に赴いた。
- 衣服検査の役人は、帯と褌は返してくれたのに、その一巻は取り上げられてしまった。
- そこで獄吏に「獄内では読書が許されていると聞いたが」と訊いた。
- 「後日僕がこの書をたのんだら、速やかに手にしたいのだが」。
- 獄吏は「よろしい」と言った。
- さてその後日、僕は獄吏に自分の所持していた柳文一巻を下さい、と頼んだ。
- 獄吏はまた「よろしい」と言った。
- 「早速そのことを衣服検査担当に訊いてみよう」。
- それから数日、何の音沙汰もない。
- どうなっているのかと何度か訊ねてみた。
- 一人の獄吏が来た。
- 獄吏が告げるには「柳文の件は渡すことはできない」。
- 僕は大いに戸惑った。
- それで「それなら何か読むことができる書はありませんか」と訊ねた。
- 獄吏は答えた。「すでに許可されている書は四部ある。
- 『春秋左氏伝』に『名臣言行録』、そして『日本外史』である。もう一部は忘れてしまった。」
- 僕は「それなら左氏を家から取寄せたい」と言った。
- 獄吏はまた「それはできない」と言った。
- 「囚人が書物の差入を頼む際は、必ず代価を本人の家から出し、御用の書肆である須原屋へ納めることになっている」。
- 〔誰が仕組んだのだろうか。
- 新聞記者の禁囚が多くなれば、附随して須原屋の利益も多くなり、記者の禍い転じて書肆の福となる。
- 少々可笑しくなった〕。
- 「なんでもよろしゅうございますから、早くお願いします」。
- 獄吏はまた「よろしい」と言った。
- この「よろしい」だが、〈三度の神は正直〉なもので、実に二月二十三日の正午、『左氏伝』十五巻が牢中に投げ入れられたのだった。
- これでようやく、幽閉の憂悶を洗い流して、天の古人と語らうことができた。
- 真に入獄以来の快挙であった。
- これに先立つ数日前、対面の牢の横瀬氏の友人が、横瀬氏へ『史記』一部を贈った。
- 〔この書は例の須原屋保証の書ではないとのこと。真に一大の思いがけない幸運であった〕。
- 横瀬氏の顔に喜びの色が溢れ、直ぐさまその『史記』を把んで読む。
- 意気は揚々。
- 僕は数日来、頗る書に飢えていた。
- 横瀬氏の声を耳にするに及んで、その艶やかさ、羨しさときたら、あたかも妻を亡くした夫の目の前に美人が現れたようなものだ。
- 横瀬氏は独り喜々として、僕には一巻も貸してくれなかった。
- 獄囚は憤り、恨みに少々堪えられなくなってしまった。
- 〔牢屋では飲食を分かつことを禁じている。
- とうぜん書物もだ。
- だから、書を僕に貸さないのは横瀬氏がケチだからではない。
- これは「袴着時代」の風習なのである。
- そして革命が起こってからは、各牢間で読み終わった書物の廻し読みが許された。
- さて、この廻し読みの許可を監獄の課長に懇請したのは、他ならぬ横瀬氏なのである。
- こんにち監獄に書籍が乏しくないのは皆、横瀬氏の賜であり、廻し読みが許可されたのは監獄課長の慈恵の厚さによる。
- 僕はずっと課長を知らない。
- 皆が言うには、背が低く髯が美しい人だそうだ。
- また、姓を石澤と言うとも言われている。
- 僕は時々、短身美髯の姿を見かけた。
- 恐らくはその人なのだろう。
- 課長はいつもあらゆることに注意を払い、人が冤罪を訴えたり、理不尽な処置を受け憂憤の念に堪えられない、といったことがないようにしている。
- とりわけ文学のことについては、大いに獄囚の意向を尊重するところがあるようだ。
- 看守係の巡査の中では、河田(四本筋を担当)という人が、物事の道理について行いにしっかり筋が通っている。
- これに次ぐのは清水(三本筋を担当)という人である。
- そのほかにもなお、囚人を見守るにあたって厚く待遇する正義の人が多かったのだが、一々その姓名を聞くことはかなわなかった。
- 惜しむべきことだ。
- これらのことは、決して僕が口から出任せに今でっちあげたへつらいの辞ではない。
- もしこれを僕の思い違いだと疑うのなら、どうぞ同業二十八名の獄囚に訊いてみたらいい。
- そうは言え、獄内巡査は数回も交代しているので、その正確な数は分からない。
- 多人数の中には、謹んで世間流行の「賢明」の二字を奉るべき愚かな御人物がいないとも言えない、とは言えるだろう。
- 上に述べたことが常に正しいかどうかを、僕らだけで保証することはできない。
- 【メモ】
-
- 「禁獄人ハ其罪既決、筆墨ヲ弄セシムルモ亦何ノ害アラン」という柳北の思考が気に掛かります。前段落にも同様の記述がありました(「僕輩ハ其罪既決、何ヲ苦シンデ脱走センヤ/満期迄ハ出デ往ケト云フモ、條理無クテハ出デ往クヲ好マズ」)。
- 柳北はどうやら《自分は罪を犯し、そして裁判官により刑が確定された》とは考えていません。《自分で自分の刑を確定した》と考えているようです。自分で決めた事だから、どうしてそれに従わないことがあろうか、という言い回しになるのだと思います。
- 刑を受けることに決めた直接の理由としては、朝野新聞ならびに新聞紙業界がこれ以上打撃を受けるのを避けることだったのでしょう。
- 【要約】
-
人の抑え難い欲として食欲と色欲があるが、獄内で最低の生活を贈っていると、湧いてくるのはもっぱら食欲ばかりである。親類知人から食物が差し入れられることがある。だが、これについても「袴着時代」にあっては理不尽な厳しい制約ばかりで、贈る側も大いに迷惑を蒙っていた。それも獄吏が巡査に変わってからはなくなった。
- 【原文】
- 食色ハ人ノ大欲ニシテ、聖賢デモ口ノ通リニハ参リ申サズ。
- 凡夫ハ言フ迄モ無シ。
- 縦令僕輩ノ如キ謹慎恭順ナル禁獄人ト雖ども、此ノ二欲ヲ断ツハ甚ダ難シトス。
- サレド獄内ニ在テハ意ヲ一身ノ安危存亡ニ注ス。
- 何ノ暇カ能ク心ヲ男女ノ欲ニ動カサン。
- 偶々洗濯婆々ノ皺面ヲ見テハ遙ニ老妻ヲ想ヒ、囚繋女子ノ垢顔ヲ拝シテハ誤テ青楼ノ尤物【ベツピン】ナリト疑フノミ。
- 是レ其欲点ノ至ルトコロ極低ノ度ニ在ルヲ以テナリ。
- 食ニ至テハ然ラズ。
- 獄裏ノ快楽、唯読書ト喫飯ニ在リ。
- (読書ハ多キヲ厭ハズ。
- 食ハ極メテ節ス可シ。
- 多ケレバ必ズ大害アリ)。
- 官ヨリ給スル三度ノ食モ着袴時代ヨリ漸々上進シ、方今ハ下等私塾ノ食ト級ヲ同ウス。
- 且、親戚知己ノ贈遺【サシイレ】物アリ
- 〔贈遺ハ牛肉鶏卵ヲ佳トス。
- 集思社小松正胤子ガ全遂志表ノ説、確ナリ。
- 着袴時代ニ当テハ贈遺ノ制限、甚厳ニシテ、願書一字一句ノ誤ヲ譴責シ、且、一日両家以上ノ贈遺ヲ禁ズ。
- 故ニ遠路貽送スル者、空ク携ヘ帰こと数回ナリト云フ。
- 甚シキニ至テハ、婦人ノ贈遺ヲ乞フ者アレバ、故サラニ其ノ年齢ヲ問ヒ、少シク諧謔ニ近キことモ有リシト。
- 僕コレヲ采風社某氏ノ家ニ聴ク。
- 蓋シ其婦人ノ聞キ違ヒナル可シ〕。
- 革命ノ後ニ及ンデハ査吏寛厳宜シキヲ得テ、復タ小瑕ヲ以テ親戚朋友ノ厚情ヲ傷ルこと無ク、又、其贈遺人ヲ長ク待セ置クことナシト云フ。
- 書籍ノ如キモ自家ノ蔵書並ニ他ノ贈本ヲ検査シテ本人ニ与フルヲ許スト。
- 是レ亦僕ガ前段ニ説ク前凶後吉ノ一タリ。
- 青楼 --- 中国における、美人のいる楼。
- 譴責 --- けんせき。過失などをきびしくとがめせめること。
- 【口語】
- 食と色は人の大なる欲であり、聖賢ですら口で言う通りには参らない。
- 凡夫は言うまでもない。
- たとえ僕らのような謹慎恭順な獄囚といえども、この二つの欲を断つのはとても難しいのだ。
- そうではあるが、獄内にあっては、関心はもっぱら一身の安危と存亡に注がれている。
- 色欲に心を動かす暇なんかどこにもない。
- たまたま洗濯婆の皺面を見かけては思い出したかのように老妻のことを想い、女子獄囚の垢にまみれた顔を拝見しては、もしや青楼の別嬪ではと見間違えるくらいのものだ。
- それは求める欲の水準が最低の位置にあるからである。
- ただし、食についてはそうではない。
- 獄内の快楽はただただ読書と喫飯に尽きる。
- (読書は多くても厭にならない。
- 食は極力節制せねばならない。
- 多ければ必ず大きな害がある)。
- 官から与えられる三度の食も袴着時代からだんだんと質が上がり、今では下等私塾の食と同じくらいの内容だ。
- かつ、親戚や知己の差し入れ物もある。
- 〔差し入れには牛肉鶏卵が良いとされる。
- 集思社の小松正胤さんがいう「全遂志表」の考えは当たっている。
- 袴着時代下にあっては差し入れにとても厳しい制限があり、願書に一字一句でも誤りがあれば激しく咎められ、かつ、一日に一家までしか差し入れを行えなかった。
- よって、遠路はるばる差し入れをもってきても、むなしくそれを携えて帰されることも数回あったらしい。
- 極端なものとしては、差し入れを携えてきたのが女性だったら、獄吏はことさら年齢を尋ね、少々セクハラっぽいことが生じるという。
- 僕はこれを采風社の某氏の家で聞いた。
- 思うに、その婦人の聞き違いだろう〕。
- 革命の後に獄吏が巡査に替わってからは、寛容さと厳格さがしかるべきものとなり、願書の誤字といった些細なミスによって親戚朋友の厚い情に傷をつけることは二度となく、その差し入れ人を長く待たせ置くこともなくなったそうだ。
- 書籍についても、自家の蔵書ならびに他の贈本を、検査ののちに本人へ与えることが許されたそうだ。
- これもまた僕が先に述べた、はじめ凶で後は吉の一つであった。
- 【メモ】
-
- 前段落は獄卒の話でしたが、ここは「願書一字一句ノ誤ヲ譴責シ」とあることから、文字が読めて誤字脱字の分かる獄吏の話です。
- 興味深いのが「囚繋女子ノ垢顔ヲ拝シテハ」の部分で、現在のように男女で獄舎が分かれてはいなかったようです。軽犯罪者を収容する場所だったからかもしれません。
- 食べ物を差し入れる、というのも面白いと思いました。
- 「官ヨリ給スル三度ノ食モ着袴時代ヨリ漸々上進シ」の箇所、いったいどんなメニューだったのか記述のないのが惜しまれるところです。
- 【要約】
-
獄囚が自らの罪の為に辛苦を受けさせられるのは当然だが、だからといって獄囚を劣悪な環境に置き、その健康を害し命を縮めることがあってはならない。医官は病人を手厚く保護してくれるが、病気にならないような措置を講じてはくれていない。声高に改善を訴えるべきことだ。
- 【原文】
- 文士多クハ疾病ニ苦シム。
- 是レ古今ノ慣習ナリ。
- 況ヤ獄舎ニ在テ新鮮ノ空気ニ触ルヽこと稀レニ、身ヲ垢衣汗物ノ中ニ埋メ、穢臭ノ鼻孔ヲ穿ツニ於テヲヤ。
- 僕輩囚人ハ罪有ルヲ以テ此境ニ堕ツ。
- 其苦ヲ吃スルハ固ヨリ巳ムヲ得ズト雖ども、其レガ為メニ健康ヲ害シ命脈ヲ縮ムルニ於テハ、僕輩ノ甚ダ驚ク所ロニして政府ノ法律ニモ亦其罪ヲ罰スルノミニテ、決シテ其人ノ健康ヲ害シ命脈ヲ縮ムルノ道理有ルこと無キヲ信ズ。
- 其ノ一証ヲ挙ゲンニハ、医官ノ設ケ有テ以テ病囚ヲ診シ、日ニ薬剤ヲ投ズルヲ見ル可シ。
- 医官ノ病囚ニ注意スルハ頗ル厚シ。
- 決シテ諺ニ御役目一通リト云フ如キニハ非ズ。
- 然レども医薬ハ善クコレヲ病ノ既発ニ治ムルモ、敢テ之ヲ未発ニ予防スル能ハズ。
- 房内人員多ク〔平常一房五名ニ過ギ、夏日四名ニ過グレバ、頗ル其ノ苦悩ニ堪ヘズ〕空気清爽ナラズ、血液十分ニ流動セザル。
- 是レ病ヲ醸スノ原因ナリ。
- 方今ノ檻倉、美ハ則チ美ナリ。
- 然レども初メヨリ禁獄人ノ為メニ設クル者ニ非ザル可シ。
- 〔其証頗多シ。
- 僕之ヲ漸次ニ説キ出サン。
- 僕輩窃ニ希ウ。
- 官吏ハ人民ヲ保全スルノ職務ナリ。
- 特リ権官ノ意旨ヲ仰グ可キモノニ非ズ。
- 今ヤ時盛夏ニ向フ。
- 速カニ禁獄人ノ健康ヲ害シ命脈ヲ縮ムルヲ救フノ方法ヲ設ケラレンことヲ。
- 或ハ云フ、其ノ健康命脈ニ関スル度ハ医官之ヲ測ツテ長吏ニ告グ。
- 決シテ其ノ気遣ナシト。
- 是レ決して然ラザルナリ。
- 如何トナレバ僕輩ハ獄ニ在ル百余日、未ダ嘗テ医官ノ僕輩ガ房中ニ来リシことヲ見ズ。
- 時トシテ他房ヘ診察ニ来ルこと有ルモ、亦時間十分以上房内ニ止マリシことナシ。
- 仮令扁鵲(へんじゃく)タリども、房内昼夜ノ冷熱晴雨ノ燥湿ヲ実験スルヲ得ンヤ。
- 故ニ僕輩ノ如ク実践シタル者ノ蝶々論ゼザルヲ得ザルトコロナリ。
- 而シテ之ヲ救フノ方法ハ、別ニ禁獄所ヲ営スルカ、善ク其ノ規則ヲ定メテ自宅ニ錮スルカノ二途ニ在リ。
- 然リト雖ども其方法ニ至テハ敢テ僕輩新聞記者ヨリ喙(くちばし)ヲ容ル可キモノニ非ズ。
- 唯僕輩ノ正シク官吏ニ控告セント欲スルハ他無シ。
- 禁獄人、其心ヲ苦シメ其体ヲ苦シムルハ、敢テ嗷々コレヲ論ズ可キノ理無シ。
- 其ノ健康ヲ害シ其ノ命脈ヲ縮ムル事ニ至テハ、是レヲ甘受セズシテ釐革(りかく)ヲ乞フ可キノ理有リト。
- 扁鵲 --- へんじゃく。中国、戦国時代の名医。渤海郡鄭の人。姓は秦、名は越人。長桑君に学び、禁方の口伝と医書とを受けて名医となり、趙簡子や虢(かく)の太子を救ったという。耆婆(ぎば)と並称される。(広辞苑)
- 釐革 --- りかく。改革。(広辞苑)
- 【口語】
- 多くの文士は疾病に苦しんでいる。
- 今も昔も変わらぬことである。
- ましてや、獄舎にいて新鮮な空気に触れることが稀で、垢と汗にまみれた衣服に身を包み、異臭が鼻孔を突き刺す状況下ではなおさらである。
- 僕ら獄囚は罪が有るからこの境遇に堕ちている。
- その罪による辛苦を味わうのは勿論やむを得ないとはいえ、辛苦のせいで健康を害し、命を縮めることについては、僕らはその理不尽さにただ驚いてしまう。政府の法律にも、あくまで罪を罰するのみで、罪人の健康を害し命を縮めるべき道理など決してないと信じている。
- その証拠のひとつを挙げてみると、獄内職として医官が設けられており、病囚を診察し薬剤を投じる姿を見るがよい。
- 医官が病囚の病状に注意を払うその姿勢はとても情に厚い。
- 決して諺にある「御役目一通り」といった態度ではない。
- しかし、医薬は罹ってしまった病をよく治すものの、発病の予防はできない。
- 牢内は人が多く〔夏以外は一牢五名を超え、夏だと四名以上になれば、きわめて苦痛で堪えられない〕空気がよどんで、血液もよどんで十分に流れない。
- これが病を醸す原因である。
- 近頃の監獄は、美しいといえばもちろん美しい。
- しかし、当初から獄囚が生活を送るべく設計されてはいない。
- 〔その証拠はすこぶる多い。
- 僕はそれを徐々に説明していこう。
- 僕らは心の中でこう願っている。
- 官吏というのは人民を保全する職務である。
- 単に上官の意向を仰くだけの職務ではない。
- 今は季節が盛夏に向っているところだ。
- すみやかに獄囚が健康を害し命を縮めているのを救う方法を設けてはもらえないか。
- また聞くところでは、医官は、監獄の環境が獄囚の健康や命にどれほどの悪影響を及ぼしているのかを調べ、長吏にこう報告しているらしい。
- 「まったく心配ありません」。
- 決してそうではない。
- 疑問に思われるかもしれないが、僕らは監獄にいた百余日もの間、医官が僕らの牢内へ来たのをまだ見たことがないのである。
- たまによその牢内へ診察に来ることもあるが、それでも十分以上牢内にいたことはない。
- これでは、たとえ伝説的名医の扁鵲のような方であっても、牢内における昼の熱さと夜の冷たさ、晴の日の乾きと雨の日の湿りを確かめはできない。
- そういうわけで、僕らのように牢内の苛酷さを実践した者がペチャクチャと説明せざるをえないのだ。
- さて、この苛酷さを救う方法は、牢内生活を考慮した別の禁獄所を建てるか、しっかり規則を定めて自宅禁錮にするかの二つがある。
- そうはいえ、どういった方法にするかまでは、僕ら新聞記者がわざわざクチバシを入れるべきことではない。
- ただ、僕らは本心から、官吏へしかるべき改善をこう求めている。
- 「獄囚が心を苦しめ体を苦めることについて、あれこれ口やかましく論じる筋合いはない。
- しかし、獄囚が健康を害し命を縮めることに至っては、獄囚がこの状態を甘受せず、改革を求めるだけの理がある」と。
- 【メモ】
-
- 「新鮮ノ空気ニ触ルヽこと稀レニ、身ヲ垢衣汗物ノ中ニ埋メ、穢臭ノ鼻孔ヲ穿ツ」。これほど臭そうな文章は他にありません。
- 「其罪ヲ罰スルノミニテ、決シテ其人ノ健康ヲ害シ命脈ヲ縮ムルノ道理有ルこと無キ」は、一見詭弁に思えなくもないのですが、以下、気迫の文章が続きます。
- しかしこの論理、薩摩の獄吏にはさっぱり理解できなかったに違いありません。罪人に対して人間以下の扱いをする姿勢は明治〜戦前とずっと続きますが、監獄にしろ警官にしろ、そうなったのは薩摩の野武士によるところが大きかったのかもしれません。
- 【要約】
-
空気のよどんだ獄内にいると、外の新鮮な空気に触れるのが楽しみになる。しかし、脱獄や反乱を防ぐための厳しい規則が多々ある。でも、僕らがそんなことをするわけはない。
- 【原文】
- 読書ト飲食トヲ除クノ外、獄内ノ楽事三有リ。
- 一ニ曰ク運動、二ニ曰ク入浴、三ニ曰ク溺器掃除。
- 其レ溺器ハ不潔ノ最上等ニ位スルモノ也。
- 之ヲ捧グルこと、玉ヲ執ルヨリモ恭【ウヤヽヽ】シキハ、何ゾ其顛覆ヲ恐ルヽガ故ナリ。
- 〔国家ヲ顛覆スルノ論説ヲ以テ罪ヲ獲タル諸子モ、幸ニ溺器ヲバ一度モ顛覆セザリシ〕。
- 恭シク不潔ノ物ヲ捧ゲ、恭シク不潔ノ器ヲ洗フ。
- 誰カ之ヲ楽ム者有ラン。
- 然ルニコレヲ以テ楽事ノ一ニ置クモノハ何ゾ。
- 九尺四方ノ窄【セマキ】室ニ数人雑居シテ〔最多キ時ハ七八名ニ至ル〕室内ノ空気、彼レ吐キ我レ吸イ、化シテ大毒気ト為ル。
- 屢(しばしば)起ツテ窓櫺(そうれん)新入ノ気ヲ吸ハントスルモ、窓高ク風遠シ。
- 故ニ一日両回溺器ヲ捧ゲテ戸外ニ出テ、以テ清爽ノ空気ヲ受用スルヲ楽ム。
- 是レ其ノ不潔ノ如キハ措テ之ヲ問ハザル所以ナリ。
- 況ヤ運動ノ不潔無クして心ヲ緑樹紅花ノ間ニ娯マシムルニ於テヲヤ。
- 僕ノ獄ニ入ル際、運動場有テ運動無シ。
- 二月ノ末ニ至テ着袴先生始テ一次ノ運動ヲ命ズ。
- 爾後、之ヲ廃セズト雖ども一月僅ニ両三次ニ過ギズ。
- 未ダ以テ僕輩ノ身体上ニ一大補薬タルノ効有ルヲ覚エシメザリシ。
- 然ルニ革命ノ後、大ニ運動ノ数ヲ増シ、更ニ新運動場ヲ獄ノ四隅ニ設ケ、頻々運動ヲ許セリ。
- サレド拘留人ノ運動ト風雨アルトヲ以テ算スルニ、一月十四、五回ナリキ。
- 蓋シ、旧運動場ハ其周囲曠ニして、新場ハ甚窄小、且、藩籬之ヲ界截シテ縦五、六間、横一、二間ニ過ギズ。
- 僕想フニ、新場ヲ開クノ趣意、一ハ旧場ノ大ニシテ警防ノ吏人多数ヲ要スルヲ患フルニ出テ、一ハ法ヲ簡易ニシテ頻々運動ノ楽ヲ取ラシメント欲スルニ根シ、一ハ盗児偸漢ノ瓦石ヲ拾ヒ且ツ囚人互ニ其面ヲ見テ或ハ相話スルヲ防グガ為メナラント。
- 是レ固ヨリ良図ナリ。
- 然レドモ僕輩禁獄人ハ唯健康ヲ保ツニ汲々タルノミ。
- 何ゾ逃遁ヲ謀ランヤ。
- 何ゾ悪計ヲ企テンヤ。
- 瓦石我レニ於テ何カ有ラン。
- 仮令同業諸子ト相面スルモ、唯其恙(つつが)ナキヲ心ニ喜ブノミ。
- 仮令相話スルモ、其ノ言フ所ロハ足下頃日何ノ書ヲ読ヤ。
- 僕昨夜拙作幾首ヲ得タリ。
- 某社新聞ノ気焔【ケイキ】ハ如何デアラウ。
- 新入ノ記者ハ幾月ノ禁獄ナリヤ。
- ノ数件ニ過ギズ。
- 其中チト不謹慎ニ渉ルことト雖ども、マタ僕近来頻リニ荆妻ヲ思フ。
- 君ハ満期近シ。
- 定テ某楼ニ痛飲スルヲ楽ムナラン。
- 等ノ如キ閑言語【ムダバナシ】ノ外ニ出デズ。
- 決シテ牢獄ヲ破リ守吏ヲ殺ス等ノ密謀ヲ通ズルニ非ズ。
- 萬一其語ノ外事ニ係ル有ルモ、マタ牛肉玉子ノ差入ヲ促ガスノ他ニ求ムル所無シ。
- 故ニ僕輩ハ窃ニ守吏ノ労ヲ省キ、禁獄人ノ如キハ風雨ヲ除クノ外一日一次一斉ニ之ヲ旧運動場ニ駆リ出シ、巡査一名獄丁一名、之ヲ看護シ其失儀ヲ禁防セバ足ラント思ヘリ。
- 斯クノ如キモ決シテ不足ノ変ヲ生ゼザルハ僕輩ガ萬々保証スル所ロ也。
- 若シ然ラバ、囚人健康ノ幾分ヲカ助クルニ至ルナラン。
- 入浴ニ至テハ其法頗ル良シ。
- 然レドモ一六変ジテ日曜ト改マリシヨリ、浴日ノ数着袴時代ニ比スレバ減ジタリ。
- 是レ囚人ノ痛嘆スル所ロ、況ヤ天既ニ炎蒸ニ向フ垢膩満身衣襦穢臭、其ノ苦悩亦甚シ。
- 仰ギ願ハクハ司獄ノ長吏、三伏中更ニ入浴ノ数ヲ増加シ、囚人ノ発病ヲ予防スルノ仁術有ランコトヲ。
- 窓櫺 --- 縦や横に一定の間隔を置いてとりつけた格子のある窓。牢屋の檻のこと。
- 間 --- 6尺(約1.8m)。
- 良図 --- 良い策。
- 瓦石 --- 瓦と石。転じて、無価値なもの(広辞苑)。瓦や石は武器になるほか、獄舎が木造だったことから、脱獄の道具にもなるので、そのままの意味かもしれない。ここでは「良からぬもの」と広く解釈した。
- 荆妻 --- いばらのかんざしを刺した粗衣の妻。自分の妻の謙称。
- 一六 --- 毎月一と六のつく日。この日は一般に休日だったが、一八七六年(明治九)以後、官公署は日曜休日となった。柳北はちょうどその境い目に入獄していた。入浴日が減ったのは「革命」のせいではない。
- 三伏 --- 夏の極暑の期間。
- 【口語】
- 読書と飲食以外に、獄内には楽しい事が三つある。
- 一つ目は運動、二つ目は入浴、三つ目は溺器掃除。
- 溺器は不潔さの点で最上の位に位置するものである。
- この溺器を捧げるとき、宝玉を手にするよりも恭しくするのは、溺器の転覆を恐れるからである。
- 〔国家転覆の論説により罪を受けた諸子も、幸いにして溺器を転覆することは一度なかった〕。
- 恭しく不潔な溺器を捧げ、恭しく不潔な溺器を洗う。
- 誰がこんなことを楽んで行うだろうか。
- それではこれが楽しい事の一つに数えられる理由は何だろうか。
- 九尺四方の窮屈な部屋に数人が雑居して〔最も多い時は七、八名にのぼる〕、彼が吐いた空気を私が吸い、そうこうしている内に室内の空気はひどい毒気となる。
- しばしば身を起こして牢内の小窓から新鮮な空気を吸おうとするのだが、窓が高くて風は遠い。
- そういうわけで一日二回、溺器を捧げて戸外に出て、清く爽やかな空気を吸い込むのが楽しい事の一つとなるのである。
- そのすがすがしさに比べれば、溺器の不潔さなどは問題にもならない。
- 不潔な点がなく、心ヲ緑樹紅花の間で心から楽しめる運動に至っては言うまでもない。
- 僕が入獄した当初、運動場はあったが運動はなかった。
- 二月末になってはじめて袴着先生が初回となる運動を命じた。
- 以来、運動は廃されはしなかったが、僅かに一月に二、三回命じられるに過ぎない。
- なので、僕らの身体上には依然としてよく効く薬を投与されたような効果を覚えることはなかった。
- そんな状況だったのが革命後は一変、運動の数は大幅に増し、更に新たな運動場が獄内の四隅に設けられ、頻繁に運動が許可された。
- それでも拘留人が運動する日もあり、風雨で運動が中止となる日もあるので、せいぜい一月に十四、五回である。
- さて、旧運動場は広々としているのに対し、新運動場はすぼまってとても狭く、その上、垣根で分け隔てられているので、広さは縦10m、横3m前後に過ぎない。
- 僕が思うに、新場を開く趣旨は、一つは旧運動場が大きかったため警備に多数を要したのでその労を軽減することであり、一つは警備体制を簡易にして獄囚らにより多く運動の楽しみを取らせることであり、一つは盗っ人どもがこっそりと持ち帰るかもしれない良からぬものを事前に拾い、かつ、獄囚どうし互いに顔を見て話すのを防ぐこと、といったところだろう。
- これはもちろん良い策である。
- しかし、僕ら獄囚は唯だ健康を保つだけで汲々としている身だ。
- どうして脱走を謀ったりするだろうか。
- どうして悪計を企てたりするだろうか。
- 良からぬものなど、自分に何の関わりがあるだろうか。
- たとえ同業諸子と対面しても、お互いが無事な様子をただ心で喜ぶだけである。
- たとえ話をしても、口に出るのは「足下はこのごろ何の書を読んでおりますか」
- 「僕は昨夜、拙作幾首を詠みました」
- 「某社新聞の勢いはいかがでしょうか」
- 「新入りの記者は何ヶ月の刑となったのでしょうか」
- の数通りに過ぎない。
- 中にはちょっと不謹慎な話題に渡ってしまうものの、それもまた「僕は近頃しきりに粗衣の妻のことを思うのです」
- 「君は満期が近い。
- きっと某楼で大いに酒を飲み楽しまれるのでしょう」
- などの無駄話の域を出ない。
- 決して牢獄を破り監守を殺すなどといった密謀を交わすのではない。
- 万一話題が外界にかかわることがあっても、それもまた牛肉や玉子の差し入れを促すほかに話すこともない。
- よって僕らは、看守の労を省き、獄囚や拘留人らを風雨の日を除いて一日一回、一斉に旧運動場へ駆り出し、巡査一名と獄卒一名を監視に当たらせて獄囚らの失儀を防げば、それで十分だと思ったのである。
- こういうやり方でも決して不測の事態は起きないと、僕らは絶対に保証する。
- もしそうできれば、囚人の健康維持を幾分か助けることになるだろう。
- いっぽう入浴についてはその方法はすこぶる良い。
- しかし、休日が一と六のつく日から日曜に改まってから、入浴日は袴着時代に比べて減ってしまった。
- これは獄囚にとって痛切に嘆かわしいことで、とりわけ季節が蒸熱炎暑に向うときの、垢と脂で満身が被われ、衣と下着から汚臭がする、その苦悩は耐え難いほど甚しい。
- 夏の極暑の期間中は入浴日を増やし、獄囚が発病するのを予防する仁術を獄長が持たれることを懇願する。
- 【メモ】
-
- 柳北の文には、しばしば非・匿名的な根拠でもって画一性を論破しようとする態度が見受けられます。たとえば「決シテ牢獄ヲ破リ守吏ヲ殺ス等ノ密謀ヲ通ズルニ非ズ」や「斯クノ如キモ決シテ不足ノ変ヲ生ゼザルハ僕輩ガ萬々保証スル所ロ也」などがそうです。
- 《われわれがそんなことをするはずはない、だからそんなことをしなくても大丈夫だ》という言い分は、現代からすると非常に弱い、というか、論として成り立ちません。
- 疑いの目の潰し方は、明治以前と以後で根本的に変わってしまったのでしょう。現在の企業間契約などでは、疑いの目を事細かに潰したのちにはじめて信頼関係が生まれます。一方、江戸時代以前の封建社会では、ある人の罪は(お家取り潰しなどの形で)その親類縁者まで及ぶ、という脅しで成り立っていた面が少なくありません。
- しかし、柳北が罪を受ける事にしたのは、朝野新聞の他の社員も摘発する、という江戸時代さながらの脅しからでした。いわば、社を代表して罪を負ったわけです。他の獄囚も似たようなものだったでしょう。とすれば《われわれがそんなことをするはずはない》という言い分は説得力のある尤もな論に思えてきます。《なぜなら、われわれは人質をとられているからだ》。
- 【要約】
-
ほかに楽しい事としては散髪がある。ただし、僕はそこで手錠をかけられるという妙な体験をした。ほかに誰も手錠をかけられたことがないのに。腑に落ちない。
- 【原文】
- 右ノ三楽事ヲ除クノ外、猶剪髪ノ一有リ。
- 聞ク、囚人ノ髪ヲ刈【カ】ルこと三月ニ一次。
- 僕モ四月中旬ニ[ほう]鬙タル髪鬣ヲ剪【カ】リ、大ニ爽快ヲ覚エタリ。
- 且、他ノ禁獄人ガ嘗テ知ラザル所ノ妙味ヲ喫セリ。
- 今コレヲ諸君ニ告ゲン。
- 僕ノ獄ニ在ルヤ、禁獄人三十余名ニ及ベリ。
- 然レども一名モ所謂鉄梏【テヂヤウ】ナルモノヲ受ケタルモノ無シ。
- 然ルニ僕一人其鉄梏ヲ手ニシタリ。
- 豈一奇遇ナラズヤ。
- 剪髪ノ第二日、獄吏僕ノ名ヲ第一ニ呼ベリ。
- 出テ運動場ニ赴ク。
- 桃花盛ンニ開ケリ。
- 花ニ背シテ小椅ヲ設ク。
- 剪髪工来タツテ後ロニ立ツ。
- 工人ノ品等ハ一頭一銖五銭ノ間ニ位セリ。
- 那【ソノ】時獄丁来タツテ忽マチ鉄梏ヲ僕ノ両手ニ鎖ザセリ。
- 僕思フ、傍ニ剪刀ノ類アリ、不測ノ事ヲ防グ為メナラント。
- 既ニ剪髪シ了リ、房ニ帰ツテ漸次ニ同房ノ人ニ問フ。
- 皆云フ、我々一人モ鉄梏ヲ鎖サレズ。
- 其形スラ見ザリシト。
- 僕大ニ怪ミ各房ノ景況ヲ窺フニ、一人モ其ノ妙味ヲ喫シタル者無キガ如シ。
- 僕疑団益堅ク、慨然トシテ嘆ジテ曰ク、同ク是レ禁獄人ニシテ其罪マタ僕ヨリ重キ者アリ。
- 何ノ故ニ僕一人ニ梏スルヤ。
- 且、僕ノ罪ヲ獲ルハ常ニ口舌ニ在リ。
- 其口ヲ篏(くびかせ)シ、其舌ヲ抜クハ敢テ辞セズト雖ども、僕ガ手ニ於テハマタ何ノ罪有テ之ヲ鎖シタルヤト。
- 忽チ隣房ニ声有テ曰ク、足下ノ筆ハ足下ノ手ノ役スルトコロナラズヤト。
- 僕負ケズニ答ヘテ曰ク、筆ハ右手ノ使フトコロ、左手ハ何ノ罪カ有ル。
- 又大声有ツテ曰ク、左手ハ従ヲ以テ論ズ。
- 禁獄四ヶ月罰金百円。
- 僕マタ一語ノ抵抗ス可キこと無カリシ。
- (跡ニテ聞ケバ、前日拘留人ニ用井タルヲ獄丁ガ誤ツテ僕ニマデ及ボシタルナリト)。
- [ほう]鬙 --- 髪の乱れかかる状態。[ほう]は髟に朋。
- 鬣 --- 髯。
- 一銖 --- 明治四年に新貨条例が公布されて「銖」は正式な通貨単位ではなくなっている。一銖=一両の十六分の一で、一両=一円=百銭なので、一円の十六分の一、約六銭。
- 【口語】
- 右の三楽のほかにもう一つ楽しい事として、散髪がある。
- 獄囚が髪を刈るのは三ヶ月に一回らしい。
- 僕も四月中旬に乱れ髪を刈り無精髭を剃り、大いに爽快感を覚えた。
- 加えて、他の獄囚がいままで知らなかった妙味を味わった。
- 今これを諸君に告げよう。
- 僕が獄にいた間、獄囚は三十余名に及んだ。
- しかし一人として、いわゆる手錠なるものをされられた人はいない。
- それなのに僕一人がその手錠をかけられたのである。
- なんという奇遇だろう。
- 散髪の第二日、獄吏は僕の名を最初に呼んだ。
- 僕は牢を出て運動場に赴く。
- 桃の花が盛んに開いていた。
- 花を背にして小さな椅が設けられている。
- その後ろに、来ていた床屋が立つ。
- 床屋の格は一頭につき一銖五銭に位置している。
- 僕が座るや、獄卒がすぐさま手錠を僕の両手にかけた。
- 傍らにカミソリの類があるので、不測の事態を防ぐためなのだろう、と僕は思った。
- 散髪し終わり、牢へ帰って同じ牢の人に「手錠をかけられたのだが、どうしてだろうか」と問うてみた。
- 皆は「我々は一人も手錠をかけられていない。
- その形すら見ていない」と言う。
- 僕は大いに訝しく思い、各牢の様子を窺ったところ、一人もこの妙味を味わった者がいないようだった。
- 僕の疑念はますます堅くなり、憤りと嘆きからこう言った。「皆は同じ獄囚で、罪の点では僕より重い者もいる。
- 何の理由で僕一人が手錠をかけられるのだろうか。
- それに、僕が罪となったのは口舌にしかない。
- その口をふさぎ、その舌を抜くのなら話は分かるが、僕の手に何の罪があって手錠をかけたのだろうか」。
- すぐさま隣の牢から声がした。「足下の筆は足下の手がなしえるものではないか」。
- 僕は負けずに答えた。「筆は右手だけが使うものであり、左手には何の罪があろうか」。
- また大声がした。「左手は右手の罪行に見て見ぬ振りをした従犯である。
- 禁獄四ヶ月、罰金百円。
- 僕はこれ以上一語も抵抗できなかった。
- (後で聞いたのだが、前日拘留人に用いた手錠を、獄卒が誤って僕にまでかけてしまったのだそうだ)。
- 【メモ】
-
- 監獄で床屋というと、刑務所あがりの冴えない男(役所広司)が空き家の床屋を借りて淡々と日を送る「うなぎ」という映画が思い出されます。
- 今では獄囚が獄囚の散髪をするのが当然ですが、この当時は本物の床屋が来ていたようです。少なくともこの監獄では、職業訓練はなかったようです。
- 【要約】
-
獄内で最も恐ろしいのは蚊である。夏になると毎夜蚊の群が大挙して押し寄せ、痒くてろくに眠れもしない。かつては蚊帳が許されたというが、今はそれもかなわない。刑の確定した新聞記者が蚊帳に隠れて悪さなどするはずもないのだから、どうか蚊帳を吊す許可を与えていただきたい。
- 【原文】
- 何ボ恐ロシキ牢獄ノ中デモ毒蛇悪蝎ノ居ルニハ非ズ。
- 唯恐ル可キモノハ蟣虱ノミ。
- 然レども蟣虱ハ捕ヘテ之ヲ誅ス可シ。
- 蟣虱ニ比スレバ、其ノ恐ルベキ数百倍ナルモノハ蚊ナリ。
- 蚊ハ翅有テ飛ブ。
- 之ヲ捕フ可ラズ。
- 唯之ヲ防グ可キノミ。
- 是レ人間ニ蚊幮【カヤ】有テ蟣虱幮無キ所以也。
- 僕ノ獄ニ在リシ日、暑威猶微ナリ。
- 然レども蚊雷既ニ房内ニ起リ、夜々之ガ為メニ苦悩、眠ル能ハザルこと有リキ。
- 一夜二更ノ比、掌ヲ以テ額上ノ蚊ヲ撲ツ。
- 適マ巡吏来リ過グル有リ。
- 僕ニ問テ曰ク、最早蚊ガ出マシタカ。
- 僕曰ク、左様。
- 吏曰ク、蚊ニハ困リマスナ。
- 僕曰ク、炎暑ニモ蚊幮ヲ釣【ツ】ルことハ出来マセヌカ。
- 吏曰ク、未ダ其方法ガ定リマセヌ。
- 僕曰ク、私ハ跡ノ日数モ僅カナレド、長ク獄中ニ在ル者ハ実ニ困苦ニ堪ヘ兼ネマスカラ、宜シク御評議ヲ願ヒ升ト。
- 其後蚊ノ襲撃日ニ甚シカリシカド、僕ハ暫時ノことト思フテ忍ビ居タリ。
- 今ヤ我ガ墨陀ノ家ノ如キハ晩餐ノ時。
- 既ニ蚊ニ困シメラル獄裏夜眠ノ人、其苦痛、果シテ如何ゾヤ。
- 聞ク、新獄ノ成ラザル以前ハ禁囚、或ハ蚊幮ヲ釣ルヲ得タリト。
- 然レども盗児悪漢ノ如キハ、夜間蚊帳ノ遮蔽アレバ、巡吏燭光ノ洞徹シ難キヲ以テ何等ノ悪事ヲ為スヤヲ測リ難シトス。
- 是レ新獄ノ結構初メヨリ蚊幮ヲ張ルニ便ナラザル所以ノ原因ナル可シ。
- 僕輩新聞記者ノ如キハ、其罪ハ既決、萬一狂病ヲ発スルニ非ルヨリハ、何ゾ再ビ罪ヲ買フノ事ヲ為サンヤ。
- 仮令房内千重万重ノ屏障ヲ設クルモ、決シテ罪ヲ巡吏ニ獲ルノ挙動ヲナサヾルヤ必セリ。
- 然ルニ盗児悪漢ト共ニ夏月数旬、蚊群ノ為メニ膏血ヲ吸ハレテ終夜困頓シ、竟ニ満身ノ疥癬ヲ生ジテ幾月カ痛癢ニ堪ヘザル苦ミヲ受クルニ至ル。
- 豈ニ冤ナラズヤ。
- 昔シ摂政荊軻ハ己レノ身命ヲ抛ツテ人ノ君相ヲ刺ス。
- 史遷之ガ為メニ刺客伝ヲ作リシヨリ、後世マタ其遺風ヲ慕フ者鮮ナカラズ。
- 故ニ権官貴人モ惴々トシテ所謂暗殺ヲ恐レ、之ヲ防グニ重関高墻ヲ以テシ、之ニ加フルニ護吏巡卒ヲ以テス。
- 其ノ心ヲ用フルヤ深シト云フ可シ。
- 夫レ蚊モ亦僕輩禁獄人ノ刺客ナリ。
- 而して彼レハ私カニ刺シ、此レハ公ニ刺ス。
- 彼レハ則チ時トシテ来リ、此レハ則チ夜夜来ル。
- 安ンゾ僕輩ノ為メニ重関高墻タル一張ノ蚊幮ヲ設クルヲ許サヾルヲ得ンヤ。
- 況ヤ蚊幮ノ如キモ亦決シテ官費ヲ仰グヲ要セズ。
- 獄吏、若シ一タビ徳音ヲ垂レバ、親戚朋友争ツテ之ヲ獄舎ノ門ニ捧送セントス。
- 希ハクハ囚人ヲ看護スルノ官吏、速ニ至当ノ処分アランことヲ。
- 蟣虱 --- 「きしつ」。しらみ。
- 二更の比 --- 「更」は日没から日出までの間を五等分して呼ぶ時刻の名。このころは夏至前後なので、意味は「午前〇時頃」。
- 疥癬 --- 疥癬虫というダニの寄生による皮膚病だが、ここでは蚊の話なので、猛烈な痒さを伴う皮膚病のこと。
- 荊軻 --- 中国、戦国時代の刺客。衛の人。燕の王喜の太子丹の客となり、丹のために秦王政(始皇帝)を刺そうとして失敗し殺された(広辞苑)
- 史遷 --- 司馬遷。
- 惴々 --- 「ずいずい」。恐れて。
- 重関高墻 --- 重い門と高い塀。
- 【口語】
- なんぼ牢獄の中が恐ろしいといっても毒蛇やサソリがいるわけではない。
- 牢獄の中で恐るべきは唯だ虱だけである。
- しかし、虱は捕えて退治できる。
- 虱に比べて数百倍恐るべきものは蚊である。
- 蚊には翅があり、飛ぶ。
- これを捕えられない。
- 唯だ防ぐことができるだけだ。
- これが、人間に蚊帳があるのに虱帳がない理由である。
- 僕が獄内にいたころは、夏の激しい暑さはまだ微かなものだった。
- それでもなお蚊の雷が牢内に起こり、そのせいで毎夜苦悩させられ、眠れないことがあった。
- ある夜の零時頃、てのひらで額の上の蚊を叩いたときのこと。
- たまたま巡査が来て前を過ぎていった。
- そして僕にこう問うた。「もう蚊が出ましたか」。
- 僕は答えて「左様です」。
- 「蚊には困りますな」と巡査が言う。
- 「炎暑の日でも蚊帳を吊ることはできませんか」と僕が言う。
- 「まだ蚊帳を吊る規則が定まっていません」と巡査が言う。
- 「私は残った日数も僅かですが、まだ長く獄中に在る者は実に疲弊と苦しみに堪えかねますから、宜しく御評議を願いします」と僕が言う。
- その後も蚊の襲撃は日々甚しかったのだが、僕は一時のことと思ってじっと我慢していた。
- そして僕は出獄し、今や我が墨陀の家などは晩餐の時だ。
- 獄内で蚊に苦しみながら夜眠る人の、その苦痛は果してどれほどのものだろうか。
- 新しい監獄が完成する以前、獄囚は蚊帳を吊ることができたらしい。
- しかし盗人悪漢などの場合、夜間に蚊帳の遮蔽があれば、巡査はロウソクの光で中の様子を窺いにくく、何か悪事をしてはいないか判別しにくくなる。
- これが、新しい監獄では当初より蚊帳を張らせなかった理由なのだろう。
- 僕ら新聞記者などは、罪が確定しており、万一発狂した場合を除いて、どうして再び罪を買うような事をしようか。
- たとえ牢内に屏障を千重万重も設けたとて、決して巡査に罪をとがめられるような挙動を行わないのは当然である。
- それなのに盗人悪漢と共に夏の間中、蚊の群に終夜脂と血を吸われて疲れ果て、ついには満身に皮膚病が生じて何ヶ月も痛痒さに堪えられないという苦しみを受けるに至る。
- どうしてこれを免れ得ないのか。
- 昔、摂政の荊軻は自らの体と命を抛って人の君主を刺した。
- 司馬遷はこれを元に「刺客伝」を作り、後世にもその遺風を慕う者は少なくない。
- そのため権官貴人も怖々としていわゆる暗殺を恐れ、刺客を防ぐのに重い門と高い塀で備え、加えて護衛や巡卒を配置した。
- その注意の払い方は深いといえる。
- さて、蚊もまた僕ら獄囚の刺客である。
- 荊軻はひそかに刺し、蚊は公に刺す。
- 荊軻はいつ来るか知れず、蚊は夜な夜な来る。
- どうして僕らのために重い門と高い塀である蚊帳ひとつを設けてはならないのか。
- 蚊帳のようなものに決して官費を仰ぐ必要がないのはいうまでもない。
- 獄吏よ、もし一度有徳の声音を口にすれば、親戚朋友は争って蚊帳を監獄の門に捧げ送ることだろう。
- 願わくば獄囚を看護する官吏が、速やかにもっともな措置を講じられんことを。
- 【メモ】
-
- 住宅地の蚊の数はたいしたことありませんが、夏の夜に山間の宿坊などに泊まりますと、「蚊雷」という言葉が決して大げさな言い回しではないことがよく分かります。
- 「蟣虱ニ比スレバ、其ノ恐ルベキ数百倍ナルモノハ蚊ナリ」というのは、実際にそこへいなければ分からない、貴重な記録だと言えるでしょう。
- 【要約】
-
何でも西洋を範とする御時世だが、西洋の監獄に蚊帳がないからといって、日本でも蚊帳はいらないという論は間違っている。西洋は清潔で蚊がいないから蚊帳が要らないのであって、ドブから蚊が大挙する日本では逆に必需品なのである。
- 【原文】
- 僕更ニ一ノ取越シ苦労有リ。
- 謹ンデ之ヲ諸君ニ告グ。
- 近来、朝ト無ク野ト無ク、事西洋ノ典則ニ由ラザルナシ。
- 独リ学術兵制百般ノ技芸ノミニ非ズ。
- 衣服飲食ヨリ屎【クソ】モ味噌モ皆西洋々々ト称スルニ至レリ。
- 僕恐クハ、法律学者中、一種屎ト味噌トヲ混合スルノ議ヲ発シテ、西洋ノ獄ニハ蚊幮ヲ設クルノ例無シト謂フ者有ランヲ。
- 抑モ西洋各国ノ都府ハ汚穢ナル溝涜無ク、園庭街衢ニ塵埃ヲ積ム所ロ無ク、城市ニ樹木鮮シ。
- 何レノ処ヨリ殷々タル蚊雷ヲ起シ来ラン。
- 其人蚊幮有リト雖ども、亦我ガ日本帝国ニ於テ之ヲ必用物トスルガ如キニ非ズ。
- 豈彼邦獄裏ノ囚人ニして其ノ有無ヲ問フ可ケンヤ。
- 是レ東西趣ヲ異ニセザルヲ得ザル所ナリ。
- 且、事々其ノ趣キヲ異ニスルハ、独リ千万里外ノ西洋各国ヲ論ゼズ、我ガ帝国内ニ於テ考フルニモ、同ジ禁獄人ニして或ハ獄ニ在リ、或ハ家ニアリ。
- 家ニ在ル者ハ蚊幮ニ安眠シ、獄ニ在ル者ハ蚊雷ニ震摂ス。
- 是レ亦其趣ヲ一ニスルト謂フ可キカ。
- 故ニ僕杞憂ヲ抱イテ、予メ一言以テ法律学者中ノ屎的先生ヲ挫折スルノミ。
- 夫【カ】ノ純粋ナル味噌学士ニ至テハ、何ゾ僕輩ノ言ヲ俟テ始テ其異同ヲ知ルトセンヤ。
- 溝涜 --- 「こうとく」。どぶ。みぞ。
- 街衢 --- 「がいく」。街中。
- 殷々たる --- 音がうるさい。雷や大砲や車などの音が轟く。
- 【口語】
- 僕にはさらに一つ取越し苦労をした。
- 謹んでこれを諸君に告げよう。
- ちかごろは官民を問わず、西洋の典則に由らない事物はない。
- ただ学術や兵制、百般の技芸だけではない。
- 衣服や飲食から糞味噌までもみな「西洋々々」と称するようになっている。
- 僕が恐れるのは、法律学者の中に屎と味噌を混合するような議論をして「西洋の監獄には蚊帳を設けた例がない」と言う者があるかもしれない、ということだ。
- 尤も、西洋各国の都市には汚ないドブはなく、庭園や街中にゴミが積んであることもなく、街は樹木が鮮やかに生い茂っている。
- どこからも地鳴りのような蚊の雷鳴は起きようもない。
- そんな西洋の人々も蚊帳を持っていたとしたところで、我が日本帝国におけるような必需品扱いではない。
- そんな西洋諸国の獄囚が、どうして蚊帳の有無を問い正せるだろうか。
- この点は東西で趣を異にせざるをえないことである。
- かつ、物事のひとつひとつがその趣きを異にするのは、ただ幾千万里も彼方の西洋各国と比べて分かるだけではない。我が帝国内だけで考えても同じである。同じ獄囚でもある人は獄内に在り、ある人は家にある。
- 家に在る者は蚊帳に守られ安眠し、獄内に在る者は蚊の雷鳴に震えてばかりだ。
- これもまた、その趣を一にするとは言えようか。
- それで僕は杞憂を抱いてしまい、あらかじめ一言クギを差して法律学者の中にいる糞先生の論を挫折したのだ。
- かの純粋な味噌学士に至ってはもちろん、僕らの言葉を待たずとも、既に趣の異同について知っている。
- 【メモ】
-
- 当時の西洋の大都市が相当不潔だったことは良く知られています。欧米に渡ったこととのある柳北もそのことを知っているはずです。
- 「西洋各国ノ都府ハ汚穢ナル溝涜無ク、園庭街衢ニ塵埃ヲ積ム所ロ無ク」という文言は、明らかに事実に反します。なにか意図的なものを感じざるをえません。
- この段落は、内容面では蛇足でしかありません。なので「屎ト味噌トヲ混合スル」「屎的先生」が実際にいたのでしょう。ただ、誰かは寡聞にして分かりません。
- 【要約】
-
刑事事件には被疑者に弁護士をつけられないので、被疑者たる新聞記者の弁舌によって刑の軽重が左右されないとも言い切れない。事実、新聞記者の刑の重さにはかなりの開きがあり、その根拠もよく分からない。
- 【原文】
- 民事ニ代言人有テ刑事ニ無シ。
- 故ニ新聞記者ノ如キ筆舌ニ不自由ナラザル者モ、法廷ノ訊問ニ対フルニ於テハ巧拙無キ能ハズ。
- 其罪ノ決案ハ、固ヨリ賢明政府ト賢明官吏ノ擬律ナレバ毫モ過誤有ルこと無キハ、僕輩モ萬々之ヲ保証仕ルナレド、同ジ禁獄人ニシテ一月ノ短キヨリ三年ノ長キニ至ル。
- 其文ヲ読ミ其語ヲ聴クト雖ども、其ノ罪ハ某ニ一倍シ某ノ罰ハ某ニ十倍スルノ限界ニ至テハ、僕輩法律ニ暗キ者ノ少シモ相分カリ申サヾル所ロナリ。
- 嗚呼、禁獄ニシテ三年ノ久キ、罰金ニシテ三百円ノ多キ、実ニ多病客ト貧書生トノ能ク堪フル所ロニ非ル可シ。
- 況ヤ其ノ老妻幼児ノ、之ガ庇護ヲ以テ人間ニ生活スル者ニ於テヲヤ。
- 其罪ハ固ヨリ悪ム可シ。
- 其人ハ実ニ憐ム可シ。
- 然リト雖ども、マタ僕輩ノ如何とも為ス可ラザル者ニ非ズヤ。
- 擬律 --- 裁判所が法規を具体的な事件に適用すること。
- 【口語】
- 民事裁判には代言人がいるが、刑事裁判にはそれがない。
- よって、新聞記者のような筆舌に不自由しない者も、法廷の訊問に答えるにあたって、口舌の巧拙は判決と無関係ではあり得ない。
- 判決内容は賢明なる政府と賢明なる官吏による擬律なので当然、毫も誤りのないことは、僕らも全面的に保証したしますが、同じ獄囚でも刑期は一月と短いものから三年と長いものまである。
- 判決文を読み、判決内容を聴けども、ある人の罪は某氏の倍、某氏の罰は某氏の十倍とまでなると、僕ら法律に暗い者にはそうなった理由が少しも分からないのである。
- ああ、獄内に三年もの長く拘束され、罰金に三百円もの多額を求められても、病弱な客と貧乏書生にはまず耐えられないことだろう。
- まして、この者に庇護されながら人間界で生活する老妻や幼児は言うまでもない。
- その罪はもちろん悪べきものである。
- だた、その人は本当に憐むべきものだ。
- そうはいっても、僕らではその人をどうにもできない、という訳でもないのではないか。
- 【メモ】
-
- 当時は「民事ニ代言人有テ刑事ニ無シ」ということを、ここではじめて知りました。
- 意味深な最後の文から予想できるように、以下、不服申し立てが記されています。
- 【要約】
-
上告する人が多いようだが、二審が行われるまでは時間がかかり、大審院からの返事を待つうち満期が到来するかもしれない。
- 【原文】
- 聞ク、禁獄人中、其処刑ノ甘受シ難キトコロ有ルヲ以テ大審院ニ上告セシ者数名有リト。
- 其詳ナルことハ知ラザレドモ、各房ニ於テ時々巡吏ニ迫ツテ上告如何ヲ問フノ語ハ、僕モ屢〃傍聴セリ。
- 其言フトコロ曰ク、速カニ大審院ニ御呼出シヲ願フ。
- 又曰ク、私ノ上告ハ如何ナリシヤ、数月ヲ経レドモ御沙汰無シト。
- 僕ハ自己ノ事ニ非ズ之ヲ聞クモ、漠然トシテ思フ所ロ無ケレド、上告人ノ屢〃促ガスヲ見レバ、法廷御用多ノ為メニ延緩シタルことモ有リシト思ハル。
- 僕ガ獄ニ入ルノ初メ、一吏僕ニ向ツテ言フ、処刑不服ナラバ三日間ニ大審院ニ上告ス可シト。
- 僕ハ直チニ上告ス可キこと無シト答ヘタリ。
- 若シ僕ヲシテ萬一無益ナル上告ヲ為サシムルモ、所謂御用多ニ出逢フ時ハ、延緩シテ今日ニ至リ満期ニテ出獄セバ、上告マタ何ノ益カ有ラン。
- 却テ上告事件ノ為メニ萬一自由ノ身ヲ、町用預ケ、トデモ申シ渡サレンニハ、其レコソ意外ノ迷惑ト謂フ可シ。
- 知ラズ、獄内ノ同業者ハ真ニ上告シテ御用多ニ出逢シカ。
- 抑モ別ニ子細アルカ、将タ僕ノ聞キ違ヒナルカ。
- 評論の小松原氏、日報ノ甫喜山氏ノ如キハ、実ニ上告シタル者ノ如シ。
- 其他ニモ有ル可シ。
- 僕ハ善ク之ヲ記セズ。
- 【口語】
- 獄囚の中には、刑を甘受し難いために、大審院へ上告した者も数名いると聞く。
- 詳しいことは知らないが、時々ほうぼうの牢から聞こえてくる、獄囚が巡査に迫って上告について訊ねるその声には、僕も何度となく耳を傾けた。
- それはこういったものだ。「速やかに大審院へ御呼出しを願います」。
- あるいはこうだ。「私の上告はどうなりましたか。もう数ヶ月経ちますが御沙汰無しなのです」。
- 僕は他人事としてこの詰問の声を漠然と聞いており、自分に引き寄せて何か考えたりすることもないのだが、上告する人がしばしば「もっと早く」と促すのを見ると、法廷が御用過多のために裁判の日を延期したということもあるかもしれない。
- 僕が獄に入った当初、ある官吏が僕に向かって「処刑に不服なら三日の間に大審院へ上告するように」と言った。
- 僕は直ちに「上告することはありません」と答えた。
- もし僕が万一無益な上告をしたとしても、大審院の御用過多に出くわし、裁判の日は延期を重ね、ついには満期で出獄した今日に至ってしまえば、いったい上告に何の益があるというのか。
- せっかく自由の身になれたというのに、上告したら却って、万一「町奉行御預り」とでも申し渡されてしまったら、それこそ思ってもみない迷惑というものだ。
- 獄内の同業者が本当に上告して御用過多に出くわしたのかは知らない。
- もっとも、僕の知らない子細があるのかもしれないし、また僕の聞き違いかもしれない。
- 『評論』の小松原氏、『日報』の甫喜山氏などは、本当に上告したようだ。
- その他にもいるだろう。
- 僕にはそれが誰なのか、きちんと記せない。
- 【メモ】
-
- この前年の明治八年、地方裁判所、上級裁判所、そして大審院の「三審制」が整った、というのが教科書的な認識ですが、実際は(こんな軽い犯罪でも)二審はいきなり大審院だったというのが、小さな発見です。
- 文中「益」「無益」が強調されていますが、血の気の多い新聞記者は「実」を優先させていたのかもしれません。すなわち、筋の通らない判決は断じて認めるわけにはいかない。
- 一方の柳北は、裁判という近代的な制度にたいして何の期待もしていません。何気なくさらりと読み過ごしてしまうような段落ですが、ここは並の新聞記者なら裁判の不服を書き殴りたくなるようなテーマです。それを書かないでいられるのは、徳川家へのコミットの揺るぎなさを逆に表していると思うのですが、あるいは深読みし過ぎかもしれません。
- 【要約】
-
澤田氏は、人を挑発するような文を書く自分とは違い、慎み深い人物である。にもかかわらず僕より刑が重いのには合点がいかない。
- 【原文】
- 我ガ社ノ澤田氏ノ如キハ社中第一ノ謹慎家ナリ。
- 決シテ僕輩ノ如キ筆舌ヲ弄シテ罪過ヲ招クノ徒ニ非ズ。
- 何ノ故ニ大罪ヲ犯シテ一年三百六十日ノ禁獄ヲ命ゼラレタルヤ。
- 獄ニ来ルノ時、僕ハ之ガ為メニ潸然トシテ涙ノ下ルヲ覚エザリシ。
- 謹ンデ他ノ新聞記者先生ニ告グ、他人ノ投書ヲ取捨スルこと、最モ注意セズンバ有ル可ラズ。
- 謹慎澤田氏ノ如キモ既ニ法廷ニ引出サレシ。
- 上ハ蝶々之ヲ論ズルモ、弁解ハ容易ニ相立チ申サズ候。
- 況ヤ謹慎寡言ノ性質ニシテ殊ニ法廷ノ厳威ニ震慄スル者ヲヤ。
潸然
「さんぜん」。さめざめと涙を流すさま(広辞苑)
- 【口語】
- 我が社の澤田氏などは社の中で一番の謹慎家である。
- 決して僕らのように筆舌を弄して罪過を招くような輩ではない。
- 何の理由で大罪を犯し、一年三百六十日もの懲役を命じられたのだろうか。
- 澤田氏が獄に来ることになった時、僕は彼の不幸を憐れんでざめざめと涙をこぼすがままだった。
- 謹んで他の新聞記者先生にこう勧告します。「他人の投書を取捨するにあたっては、最深の注意をしないと投獄される」。
- 謹慎家の澤田氏のような者ですら既に法廷に引き出された。
- お上はぺらぺらと罪状をまくしたてるが、それを却下させるだけの弁解は容易に行えるものではないのです。
- ましてや、謹慎家で寡黙な性格の人が、尋常でない法廷の厳威を前に慄れ震えあがっている場合は言うまでもない。
- 【メモ】
-
- 危険な内容の投書を書くのよりも、それを新聞に掲載して世に広めるほうが罪が重い(=政府が困る)というのは分かる気がします。
- 「謹慎家」というのは、他人の意見に耳を傾け、決して他人を愚弄したりしない、という意味なのでしょうが、面白い謂いなので口語版でもそのまま流用しました。
- 【要約】
-
獄内の文士はよく好詩文を詠んだ。その一部を紹介しよう。
- 【原文】
- 其ノ既ニ口供ニ捺印シ獄内ニ送ラルヽニ及ンデハ、必ズ賢明ノ法官ニ於テ萬ニ一失モ無カル可シ。
- 何ゾ亦上告シテ官紙ヲ費ヤシ官墨ヲ減ラシ、空シク新法官ノ御手数ニナルヲ須【モチ】ヒンヤ。
- 宜シク悲風凄月ニ吟嘯シテ、以テ己レノ罪過ヲ悔ルトモ、己レノ冤枉ヲ哀シムトモ、心ノ中デ勝手次第ニ為ス可キノミ。
- 独リ憐レム、房中筆硯無シ、仮令日夜吟嘯ノ余、幾首ノ佳作、幾編ノ文章ヲ得ルモ、一夜ヲ経レバ溺器ノ糞汁ト共ニ流レ去ツテ復タ痕跡ヲ留メザルヲ。
- 獄内ノ文士、往々好詩文アリキ。
- 同房ノ人ハ面ノアタリ之ヲ聴ク。
- 各房ノ人ハ時トシテ喃々相和スルノ語ヲ洩レ聞クノ際、併セテ其詩文ヲモ耳ヲ傾ケテ聴取シタリキ。
- 今一、二ノ最モ僕ノ心ニ感銘シタルモノヲ左ニ録ス。
- 吟嘯 --- 「ぎんしょう」。嘆き悲しんで声を立てること(広辞苑)
- 冤枉 --- 「えんおう」。冤罪。
- 喃々 --- 「なんなん」。ぺちゃくちゃ。
- 【口語】
- 供述に相違ないことを捺印し、獄内へ送られてしまうまでの間に、賢明な法官が万に一つも過ちを犯してはいないはずである。
- どうして上告なんかして官紙を費やし官墨を減らし、新法官に無駄な御手数をかけたりするだろうか。
- いかに荒涼たる風月に悲嘆の声をあげ、己れの罪過を悔いても、身に降りかかった冤罪を哀しんでも、心の中で勝手次第に思いめぐらすことしかできない。
- 牢内に筆硯なく、たとえ日々詩文を詠んで、幾首の佳作、幾編の文章を得ても、一夜経てば溺器の糞汁と共に流れ去って、痕跡の残らないのを、独り憐れむ。
- 獄内の文士は、往々にして好詩文を詠んだ。
- 同じ牢の人の詩文は、目の当たりに聴いた。
- 他の牢の人の詩文は、時々洩れ聞こえてくる談話に交じって詩文が詠まれるのに耳を傾け、聴取するのだった。
- 今、最も僕の感銘した詩文を数編、左に記す。
- 【メモ】
-
- 「聴取」とありますが、そんなに覚えられるものだろうか。
- 【原文】
- 故園何日賦刀頭
- 節近禁烟泣楚囚
- 東郭一樽誰代我
- 落花風裏灑松楸
- 【原文読み下し】
- 故園 何れの日か刀頭を賦せん
- 節 禁烟に近く 楚の囚を泣かしむ
- 東郭の一樽 誰か我に代らん
- 落花風裏 松楸に灑ぐ
- 故園 --- ふるさと。
- 禁烟 --- 中国で、寒食の節(冬至から百五日目:風雨が激しい日とされた)に食物の煮たきを禁ずること。三月末の初春。
- 松楸 --- 「ソンチュン」。韓国の地名。
- 東郭 --- 東は通常、深川遊里の別称だが、この当時、深川は遊里の跡をとどめていなかった。文全体が「楚」の国になぞらえられていることから、揚子江河口あたりの歓楽街を指していると考えるのが妥当か。
- 【口語】
- ふるさとにいつか帰ると刀にかけて誓おう。
- 時節はもうすぐ初春だ。そのことが楚の囚人たちを哀しませている。
- 東の郭の酒樽一つを、私の代わりに飲んでいるのは誰なのだろうか。
- 落ちた花びらが風に舞って、松楸にまで注いでいる。
- 【原文】
- 人定陰房風欲腥
- 鵂鶹叫雨夜冥々
- 瞥然来照幽窓外
- 一点流蛍似鬼青
- 【原文読み下し】
- 人定て陰房の風 腥(なまぐさ)きを欲す
- 鵂鶹 雨に叫ぶ 夜冥々
- 瞥然として来り照す 幽窓の外
- 一点の流るる蛍 鬼に似る青
- 鬼 --- 魂讃め星・鬼宿(たまほめぼし)。二十八宿の一。蟹座中にある。「二十八宿」とは、黄道に沿って天球を二八に区分し、星宿(星座の意)の所在を明瞭にしたもの。太陰(月)はおよそ一日に一宿ずつ運行する。(広辞苑)
- 【口語】
- 人は決まって、陰湿な房に生臭い風が吹くのを求めている。
- みみずくが雨に叫んでいる 夜の暗がり。
- ちらと幽閉の窓を照らすのが来た。
- 一点の流れる蛍の光は、魂讃め星のような青色をしている。
- 【原文】
- 九十春風半巳過
- 花香月影夜如何
- 世間一刻千金夜
- 却是囚人暗涙多
- 【原文読み下し】
- 九十の春風 半ば巳を過ぐ
- 花香る月影の夜や如何
- 世間一刻 千金の夜
- 是に却りて 囚人暗く涙多し
- 【口語】
- 九十九里浜から吹いてくる春風も、もう盛りを過ぎてしまった。
- 花の香る月影に照らされた夜はいかがなものか。
- 世間ではこのひとときの千金の夜に魅了されている。
- これとは逆に、囚人は暗く涙する者が多い。
- 【原文】
- 身如擒虎鉄欄囲
- 陰雨其濛何日帰
- 法網雖厳難縛夢
- 吟魂夜々自由飛
- 【原文読み下し】
- 身 擒虎の如く鉄欄囲む
- 陰雨其濛 何れの日か帰らん
- 法網厳しと雖も 夢縛り難し
- 吟魂 夜々自由に飛ぶ
- 【口語】
- この身は擒虎のように鉄欄に囲まれている。
- しとしと雨で霧がかかっている。はやく家に帰りたい。
- 法網がいかに厳しくとも、夢まで縛るのは難しい。
- 詩情は毎夜自由に飛んでいるのだ。
- 【原文】
- 浩歌杖剣独辞家
- 期叩金門乗駟車
- 今日獄窓空伏枕
- 恍然有夢到桑麻
- 【原文読み下し】
- 浩歌 剣を杖つき独り家を辞す。
- 期す 金門を叩き駟車に乗るを。
- 今日 獄窓の空に枕を伏す。
- 恍然として夢桑麻に到る有り。
- 駟 --- 四頭立ての馬車
- 浩歌 --- 二十歳の歌
- 桑麻 --- 永業田(えいぎょうでん)。北魏・隋・唐などの均田法で世襲を許された桑・麻を植える土地。多くは二○畝。(捨てたはずの)故郷を指す。ちなみに口分田(穀物を植える土地)は八〇畝。
- 【口語】
- 二十歳の歌を詠み、剣を杖に独り家を去った。
- 目指すは、金門を叩き駟車に乗ること。
- 今日は獄窓に見える空に枕を伏せる。
- ぼんやりしていると夢で故郷の畑にたどりつくこともある。
- 【要約】
-
いつかみんなが出獄したら、獄内の詩文集を出版したいものだ。
- 【原文】
- 同業ノ徒、詩ヲ作ラザル者ハ二、三名ニ過ギズ。
- 故ニ、若シ其詩ヲ編次セバ若干巻ヲ為スニ足リナン。
- 僕記臆悪シクテ自家ノ詩モ大半忘レタリ。
- 況ヤ他人ノ作ル所ロニ於テヲヤ。
- 他年同業記者尽ク出獄シテ同ジク一堂ニ会シ、獄内ノ悲惨ヲ紅灯緑酒ノ間ニ話スルヲ得バ、僕将ニ僣シテ詩巻ノ編輯長トナリ、以テ之ヲ江湖ニ伝ヘント欲ス。
- 知ラズ、各社ノ諸賢ヨク僕ニ許サンヤ否ヤ。
- 紅灯緑酒 --- 楼閣でうまい酒を飲むこと。「緑酒」は中国の緑色に澄んだ上等の酒。
- 僣して --- 酒の勘定を全部おごって
- 江湖 --- 世間。「江湖新聞」ではない(既に廃刊)。
- 【口語】
- 同業の人で詩文を作らないのは二、三名に過ぎない。
- なので、もし牢内で詠まれた詩を編纂したら数巻をなすに足りる数量となるだろう。
- 僕は記憶力がなくて自分の詩すらその大半を忘れてしまった。
- ましてや他人の作った詩文はなおさらである。
- いつか同業記者が一人残らず出獄して、楼閣で一堂に会し、うまい酒の肴に獄内での悲惨な思い出を話す機会があるなら、僕は必ずや酒の勘定を全部おごって詩巻の編集長となり、獄内の好詩文を世間に伝えたいと思う。
- 各社の諸賢が僕なんかにその役を許してくれるか否かは分からないが。
- 【メモ】
-
- 獄内詩集は、柳北の健康悪化もあって、出ることはありませんでした。
- 【要約】
-
獄囚の規則はない。牢壁に獄囚の守るべき告諭が貼ってあるが、これは拘留人のと同じで、また実態とも異なっている。
- 【原文】
- 獄内禁獄人ノ規則無キ也。
- 僕ガ此ノ一語ヲ聴クヤ否ヤ、獄吏ハ必ズ大喝シテ言ハン。
- 汝何ゾ妄言スル、獄内豈禁獄人ノ規則無カランヤト。
- 僕亦之ニ答ヘテ云フ可シ。
- 獄吏ハ尽ク其ノ規則ヲ知ルナラン、僕輩ハ敢テ之ヲ知ラズト。
- 獄吏又大喝シテ言ハン。
- 汝ハ汝ノ房壁ニ掲示スル告諭ヲ見ズヤ、是レ則チ汝ノ遵守ス可キ規則ナリト。
- 僕輩固ヨリ眼晴アリ霊魂アリ。
- 豈面前ニ掲示スル文章ヲ読ミ且ツ解スルこと能ハザランヤ。
- 然レども房壁ノ告諭ハ拘留人ノ告諭ニシテ僕輩禁獄人ノ為メニ設クルモノニ非ルヲ信ズルガ故ナリ。
- 何ヲ以テカ之ヲ信ズ。
- 僕輩ハ禁獄ヲ命ゼラルヽノ以前、拘留ノ厄難ニ遭ヒ其苦境ニ堕ルノ際、拘留ノ規則ヲ熟諳シタリ。
- 其ノ壁書ハ則チ禁獄房中ノ告諭ト毫モ異ナラズ。
- 夫レ禁獄ト拘留トノ異ナルハ固ヨリ僕輩ノ蝶々論ズルヲ俟タズ、官家既ニ其ノ待遇ヲ異ニスルニ非ズヤ。
- 飲食ノ器ヲ異ニシ、湯沐ノ処ヲ異ニシ、運動ノ数ヲ異ニスルヨリ百般ノ事ニ至ルマデ皆然ラザルナシ。
- 且、獄内ノ吏人親シク僕輩ニ向テ既決未決ノ異アルヲ説カレシ語モ、今猶僕ガ耳底ニ止マレリ。
- 之ニ拠レバ、禁獄拘留同一ノ規則タラザルことハ昭乎(あきらか)トシテ疑フ可ラザルナリ。
- 況ヤ現今房壁ニ存スルトコロノ告諭ノ文ト、現ニ僕輩ヲ待ツトコロト大ニ異ナルこと有ルヲ見ルニ於テヲヤ。
- 〔仮令官吏ノ慈恵ニ出ヅルニモセヨ〕是レ僕輩ガ断然壁書ヲ以テ僕輩ノ規則ト視做サヾル所以ナリ。
- 故ニ曰ク、獄内禁獄人ノ規則無キ也ト。
- 【口語】
- 獄内に獄囚の規則はない。
- 僕がこの一語を獄吏が聴いたら、必ずや即座にこう大喝するだろう。
- 「お前は何を妄言するのか、獄内にどうして獄囚の規則が無いことがあろうか」。
- すると僕はこれに答えてこう言うだろう。
- 「獄吏は一つ残らず獄囚の規則をご存じだろうが、僕らは少しも知らない」。
- すると獄吏は再び大喝するだろう。
- 「お前は牢壁に掲示してある告諭を見たことがないのか、これこそがお前の遵守すべき規則だ」。
- もちろん僕らには眼が見えて意味を理解する霊魂もある。
- どうして面前に掲示された文章を読み、かつ理解することができないはずがあろうか。
- とはいえ牢壁の告諭は拘留人への告諭であって僕ら獄囚のために設けられた規則ではないと確信しているので、獄囚の規則はないと言うのである。
- 何をもってそう確信しているのか。
- 僕らは禁獄を命じられる以前、拘留という厄難に遭ったのだが、この苦境に堕ちた際に壁に貼ってあった拘留の規則を熟諳した。
- この規則と牢中の告諭とは毫も違わない。
- 禁獄と拘留が異なるということは、もちろん僕らがあれこれ論じるまでもないことで、政府が既に両者の待遇に違いを設けているではないか。
- 食器も違い、風呂場も別で、運動の日数も違うことにはじまり、諸事百般に至るまですべて同じものはない。
- かつ、獄吏が親し気に僕輩へ向って既決と未決で待遇に違いがある旨を説かれた言葉も、今なお僕の耳の奥底に止まっている。
- よって、禁獄と拘留で同一の規則というのがありえないことは明らかに疑いの余地がないことになる。
- ましてや、いま牢壁にある告諭の内容と、現に僕らの受けている待遇とで大いに異なる点があるのは言うまでもない。
- 〔たとえこの違いが官吏の慈恵心より生じたものにせよ〕以上が、僕らが断固として壁書を僕らの規則とは見做さない理由である。
- だからこう言うのである。「獄内に獄囚の規則はない」。
- 【メモ】
-
- どのような規則が書かれていたのかが分からないので、何とも言えません。
- 【要約】
-
これまで述べてきたことを、政府の獄官は御存知のはず。盗人や悪漢とは別の獄舎を興していただくことを切に願う。
- 【原文】
- 抑モ我政府ノ獄官ハ、既ニ罪人既決未決ノ異ナルヲ知レリ。
- 又、僕輩禁獄人ガ決シテ牢獄ヲ破リ遁逃ヲ謀ラザルヲ知リタルナラン。
- 又、僕輩新聞記者ガ禁錮中為サント欲スル所ロハ唯、講読著作ノ一途ニ在ルヲ知リタルナラン。
- 又、僕輩多病ノ文士ハ独リ性命ヲ保チ健康ヲ求ムルニ汲々タルヲ知リシナラン。
- 若シ然ラバ、宜シク速ニ適宜ナル禁獄所ヲ経営シ、規則ヲ改定シ、僕輩ヲシテ盗児悪漢ト相隣スルノ醜辱ヲ免レシメヨ。
- 是レ僕輩ノ旻天ニ号泣スル所ロノモノナリ。
- 然リト雖ども僕輩ハ罪ヲ法律ニ獲タル人ナリ。
- 豈其ノ罪戻ヲ忘レテ猥リニ一身ノ安逸ヲ狴獄ノ中ニ求メント欲スルモノナランヤ。
- 旻天 --- びんてん。天。
- 罪戻 --- ざいれい。罪過。
- 狴獄 --- へいごく。牢獄。
- 【口語】
- もっとも、我が政府の獄官は、罪人は罪が既決か未決かで異なることを既に御存知である。
- また、僕ら獄囚が決して牢獄を破って遁逃を謀ったりしないことを御存知だろう。
- また、僕ら新聞記者が禁錮中に欲求不満となるのはただ、書物の講読や著作だけだということも御存知だろう。
- また、僕ら病気がちの文士はもっぱら生命を保ち健康を求めるのに汲々としていることも御存知だろう。
- もしそうなら、どうか速やかに適切な禁獄所を興し、規則を改定し、僕らを盗人や悪漢と隣接させるという醜辱から免れさせて下さい。
- これは僕らが天に号泣して願うことです。
- そうはいえども、僕らは法律によって有罪となった人である。
- どうしてその罪を忘れて、牢獄の中でただ楽をしたいと思ったりするだろうか。
- 【メモ】
-
- これまで述べてきたことのまとめです。
- 「盗児悪漢ト相隣スルノ醜辱」とありますが、確かに肌は合わなかったことでしょう。
- 【要約】
-
これまで述べたこと以外にも、辛いことは沢山ある。寒い日に暖気はなく、暑い日は体中が臭くなる。溺器の臭いは牢屋に満ち、身動きもままならない。中でも最も恐ろしいのは病気で、しかも病檻すらろくになく、拘留人と同じ牢となってしまう。
- 【原文】
- 僕ガ獄内ノ情況ヲ説キ出してヨリ既ニ十日ニ及ベリ。
- 今将ニ口ヲ鎖シ舌ヲ結ンデ、以テ其ノ局ヲ終ラントス。
- 世人或ハ言ハン、獄内ノ苦情ハ実ニ想像ス可ラザルモノ有ル可シト。
- 思ヒノ外、今柳北ノ説クトコロニ拠レバ、左程ノ困難ニモ非ズ、未ダ以テ犯罪者ヲ懲戒スルニ足ラザル也ト。
- 嗚呼、是レ深ク僕ノ中情ヲ諒【サツ】セザルニ因ルノミ。
- 抑モ僕輩ハ実ニ政府ノ法律ヲ犯シタル者、縦令獄内言フ可ラザルノ苦楚ヲ受ケ、命ヲ械鎖ノ中ニ絶タレ、骨ヲ鳥烏ノ嘴【クチバシ】ニ啄マルヽモ亦、何ゾ一語ノ怨懲ヲ吐クヲ得ンヤ。
- 然ル故ニ世人ノ以テ苦楚ト為ス所ロノモノモ亦、敢テ苦楚ト思ハザルニ至リシノミ。
- 若シ青天白日自由ノ空気ニ呼吸スル人ヲシテ、一日片時モ獄中ノ陰房ニ閉居セシメバ、其ノ憤気天ヲ衝キ怒声雷ノ如クナル可キハ、僕輩ノ信ジテ疑ハザルトコロナリ。
- 噫、獄裏惨苦ノ情、豈容易ニ説キ尽クス可ケンヤ。
- 其ノ寒宵一星ノ火無ク、手亀シ膚粟スルノミナラズ、肺肝モ亦凍ラントスル時ニ当テ、半椀ノ熱湯ヲ獲ント欲スルモ亦得可ラズ。
- 何ゾ況ヤ一瓶ノ濁酒ヲヤ。
- 酒ノ酌ム可ラザル、烟草ノ喫ス可ラザル、固ヨリ怪ムニ足ラズ。
- 而シテ快ク一勺ノ水ヲ飲マントスルモ亦溷濁ニシテ喉ニ下ラズ。
- 況ヤ陰雨冷風ノ日、衣襦沾湿シ蟣虱跋扈ス。
- 溺器唾壺ノ穢臭、室内ニ満ツ。
- 此ノ時ニ於テ一分時間之ヲ他ニ避ケントスルモ、木、檻前ヲ遮ギリ、鉄櫺後ニ列ナル。
- 起テ彷徨セントスレバ房内人多ク、膝接シ脚交ハル。
- 何レノ処ニ隙地ヲ求メンヤ。
- 又況ヤ炎日窓ニ当リ熱埃房ニ漲ル。
- 流汗全身ニ溢レ、垢膩ヲ漂ハシ来テ衣ヲ染メ席ニ滴ル。
- 何ゾ知ラン、人間世界緑陰ニ涼榻ヲ下ダシ、快ク雀舌【ヨイチヤ】ヲ瀹スルノ人有ルヲ。
- 何ゾ知ラン、紅裙ヲ畵舫ニ伴ヒ静カニ兕觥ヲ挙グルノ客有ルヲ。
- 至若時【シカノミナラズ】、気、頓ニ変ジ、宿疾俄カニ動ク。
- 胸膈窒塞シ腸胃衰弱シ心悶シ神痛ムニ際シテハ、僅カニ医楽ノ救ヒヲ仰イデ、以テ一縷ノ生命ヲ繋ガント欲スルノミ。
- 僕、賦性孱弱、常ニ胃病有ルヲ以テ医官ニ乞ヒ、獄内百余日食フトコロハ粥ノミ。
- 其病ノ危篤ニ至ラザルヤ、蓋シ天公ノ賜ナリ。
- 同房柴田勝文子ノ如キハ獄内ニ在テ熱ヲ患ヒ、困臥数日々夜嘔吐絶エズ。
- 其苦悩甚シカリシガ、幸ニ満期ニ及ビ、病ヲ荷フテ出獄セリ。
- 聞ク、同氏今猶旧ニ復セズト。
- 同氏未ダ出デザルノ日、病檻ニ移ル可キヤノ問題有リタリ。
- 然レども獄内未ダ真ノ病檻無ク、尋常ノ囚房ヲ分畵シテ病檻ト呼ビ中ニ病囚ヲ臥サシム。
- 而シテ其房ニ移レバ拘留人ト雑臥スルノ患無シト云フ可ラズ。
- 其看護者モ亦、拘留中軽罪ノ者ナラントノ恐レ有ルヲ以テ、竟ニ其ノ転房ヲ止メタリ。
- 嗚呼、盗賊ト雑臥シ拐児【スリ】ノ看護ヲ受テ斃レンヨリ、寧ロ同業諸子ノ手ニ死ナン乎。
- 嗚呼、獄囚ト為ツテ恐ル可キハ二豎【ヤマヒ】ニ若クモノ無シ。
- 独リ己レノ苦悩ニ堪ヘザルノミナラズ、併テ同房ノ人ヲ痛傷セシムルニ至ル。
- 豈一大厄難ナラズヤ。
- 僕輩窃ニ想像ス、今ノ政府ハ徃日ノ政府ニ非ズ、焉ンゾ囚人獄裏ニ病ム者ガ老豚病鶩【アヒル】ノ如ク汚穢ナル木柵ノ内ニ斃レテ、至重ノ性命ヲ瞬頃ニ失フヲ顧ミザルノ理有ンヤト。
- 故ニ僕輩ハ深ク信ズ、官吏ガ新タニ禁獄所ヲ営ミ、併テ病囚ヲ待ツノ良法ヲ設ケラル可キことヲ。
- 知ラズ、江湖ノ君子、僕ノ説クトコロニ於テ如何ノ意想ヲ生ズルヤ。
- 説キ了テ憮然、其ノ身ノ猶獄裏ニ在ルカヲ疑ヘリ。
- 噫。
- 中情 --- 心の内。
- 械鎖 --- 警棒と手錠を差す。「械」は武器の意味。
- 苦楚 --- 苦痛。
- 手亀 --- 亀甲のようにひび割れた手。
- 膚粟 --- 鳥肌。寒さで体の毛穴がふくれて、皮膚に粟粒ができたようになった状態。
- 榻 --- 腰掛けと寝台を兼ねたもの。
- 雀舌 --- 雀舌茶(チュエンショーチャ)。上質の緑茶の芽の部分だけを集めたお茶。
- 紅裙 --- 芸妓。
- 畵舫 --- 美しく飾った遊覧船。
- 兕觥 --- 周代に酒の戒めに用いる罰杯として、兕(野牛に似た青い一角獣:想像上の獣)の角で作った大杯。
- 宿疾 --- 持病。
- 胸膈 --- 横隔膜。
- 孱弱 --- 「せいじゃく」。ひ弱。
- 二豎 --- 「にじゅ」。病魔。転じて、病気。病んだ晋の景公が、病魔が二人の子ども(「豎」は子どもの意味)になり、良医をおそれて肓(横隔膜の上の部分)の上、膏(心臓の下の部分)の下に隠れた夢をみた故事による。横隔膜の上、心臓の下の部分はともに、病気がそこに入ると、容易になおらない部分と考えられていた。
- 【口語】
- 僕が獄内の状況を説きはじめてから既に十日に及ぶ。
- そこで今、口に鎖し舌を結んで、連載を終えることにする。
- 世間の人はこう言うかもしれない。「獄内の辛苦に満ちた状況は、実に想像できないほどのものに違いない。
- ところが、今柳北の説明によれば、思いのほかそれほどの困難もなく、これでは犯罪者を懲戒するにはまだ生ぬるい」。
- ああ、そういう意見をもたれるのは、もっぱら僕の心の内を深く察していないからである。
- もっとも、僕らは政府の法律を犯した者に間違いなく、たとえ獄内において言いようもない苦痛を受け、警棒と手錠で命を絶たれ、カラスの嘴に骨をついばまれても、一語として怨みや愚痴を吐けるものだろうか。
- それゆえ、世間の人が苦痛とするものもまた、あえて苦痛だとは思わないようになっただけである。
- もし青天白日のもと自由の空気を吸う人が、一日あるいは片時でも獄中の陰湿な牢屋に閉じこもったなら、憤気が天を衝き、雷のような怒声をあげるであろうことを、僕らは信じて疑わない。
- ああ、獄内の惨々たる辛苦の状況を、どうして容易に説き尽くすことができようか。
- 寒い宵に一つ星ほどの火もなく、手は亀のようにひび割れて、鳥肌が立つだけでなく、肺や肝までも凍りそうになる時に、半椀の熱湯が欲しくても得られない。
- 一瓶の濁り酒などとんでもない。
- 酒を飲めない、煙草を吸えないのは当然のことだ。
- しかたがないので、せめて一勺の水を快く飲もうとしても、それすら濁って喉を通らない。
- 雨がじとじとと降り冷たい風が吹く日になると、服も下着も湿って虱が跋扈するのは言うまでもない。
- 溺器や痰壺から漂う汚臭が室内に満ちてくる。
- そんなときにちょっと溺器や痰壺を遠避けようとしても、木が檻の前を遮ぎり、檻の後には鉄格子が列なっている。
- 起きて彷徨しようとしても牢内には人が多くて、膝が当たり脚がからまる。
- どこに隙間を求めたらいいのだろうか。
- 炎暑になれば日差しは窓に当たり、熱埃が牢内に漲るのもまた言うまでもない。
- 全身から溢れ出る汗は、垢臭や脂臭を漂わせながら衣服を染め、席に滴るのである。
- 木陰で寝台に寝ころんでおいしいお茶を快く喫するような人が人間世界にいるなんて、どうして知り得ようか。
- 遊覧船に芸妓を侍らせて、静かに大杯をかかげる客がいるなんて、どうして知り得ようか。
- あまつさえ、体の具合が急変し、持病が俄に疼き出す。
- 横隔膜が固まって窒息し、腸胃が衰弱し、心労で神経が痛むとなると、もはや医楽の救いを仰いで、一縷の生命を繋ごうとするだけである。
- 僕は生まれつき虚弱で、常に胃病に患わされているので医官に診てもらったのだが、そうしたら獄内での百余日に食したのは粥のみとなった。
- 病が危篤に至らなかったのは、思うに天恵の賜である。
- 同牢の柴田勝文さんなどは、獄内で熱が出て、病に臥せること数日間、日夜問わず嘔吐が絶えなかった。
- その苦しさは相当なものだったが、幸いにして刑期満了となり、病を荷ったまま出獄した。
- その柴田氏だが、今なお病が回復していないらしい。
- 同氏がまだ出獄していないころ、病檻に移るべきか否か問題になった。
- しかし獄内には未だ真の病檻がなかったので、通常の囚牢を分割してそこを「病檻」と呼び、その中に病囚を寝かせていた。
- さて、この病檻に移れば拘留人と雑臥することになるのだった。
- 看護者もまた、拘留中の軽犯罪者がその役をになう恐れがあるという理由で、結局はこのような転牢が行われなくなった。
- ああ、盗賊と雑臥し掏摸の看護を受けて斃れてしまうなら、むしろ同業諸子の手で死んだほうがましだ。
- ああ、獄囚となって恐るべきは、病魔を置いて他にない。
- 単に自分の苦痛に堪えられないだけでなく、あわせて同牢の人をも蝕んでしまう。
- どうして一大厄難でないことがあろうか。
- 僕らは心の中でこう想像する。今の政府はかつての政府ではない。一体、病気の獄囚が、老いた豚や病んだアヒルのように、汚穢な木柵の中で斃れて、貴い生命がすぐさま失われるのを顧みない理由がどこにあるのだろうか。
- 故に僕らは、官吏が新たに禁獄所を設け、あわせて病囚の快癒を待つ良法が設けられるはずであることを深く確信している
- 世の中の君子が僕の説明を読んでどのような意見が生じたかのかは分からない。
- ここに説き終えて憮然となり、この身が猶お獄内にあるかと疑ってしまった。
- ああ。
- 【メモ】
-
- なにしろ昔のことなので、重病人でも医者はいちいちかまってられない、というのは事実でしょう。
- それにしても「看護者モ亦、拘留中軽罪ノ者ナラン」とは少々驚きです。きっと、看護師という職はなかったのでしょう。
- 全体を通して「禁獄」と「拘留」が違うことが強調されていますが、現代の感覚ではどうもピンときません。どこがどう違うのか書かれているとありがたかったのですが、なんとも残念です。
- 本文中、ユニコードにもない文字がありました。以下の通りです。
- 上記の文字画像の著作権は今昔文字鏡にあります。
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