Last modified at 2004/02/07 13:08 
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言葉の露

凡例
【原文】
  1. 春雨の徒然なるまゝに、年わかき比書きとめ置きし歌書のうち、武者小路実陰卿、東久世博高卿などの家伝の秘書を繙きみるに、歌のみならで詩にも文にも心得置きて善かる可きと思ふこと多ければ、選り出でぬ。其道に深き人にはもとより遼豕なれど、初学の人には採るところ有らんもはかられず。
  2. 短歌と云ふも長歌といふも同しものなり。但長歌はひとつものゝ上を本末言ひつゝけたるを云ふ。短歌は数多の事を取り集めていひつゝけたるを云ふなり。長歌短歌とも長歌とよむ也。長歌は三十一字の詠、短歌は常の長歌の心といへるは拠り処なし。三十一字の詠はかへし歌のかへと云ふ者なり。詩にいはゝ絶句の如し律詩の対句を除きて作るを云ふなり。返し歌は長歌の同しこゝろ短く言ひとむるなり。
  3. 歌に前句に花の波なとゝあらは、下句にかゝるなとゝ縁語をよみつゝけ候はては、きよく無きなり。縁をよくゝゝつゝけて読む可し。
  4. 腰折れ歌と云ふこと、歌の五七五七々の間の言葉の、強き弱きを腰折れといふなり。五文字に強き言葉ならは末まて同しやうに強き詞にてよむ可し。又五文字に弱き詞ならは末まて弱き詞にてよみなす可し。譬へは「武士の矢なみつくらふ籠手の上に あられ玉ちる奈須の篠原(玉ちる元のマヽ)」。かくの如くよみ続く可し。五より末まて強き詞なり。武士の矢なみ、籠手、あられ、奈須の篠原。かくの如く弱きもの一ことも入れす、鬼のすむ野を言ひ出し、雨露にてもなく霰をよみ出して、薄浅茆なとにても無く篠原をよむ。斯くの如くつよきをそろへ可し。強き中に弱き詞のすこしも入りたるを腰折れと申すなり、
  5. ねのこの餅みかひとつと云ふは、源氏の君若紫の姫君に新枕し給ふ、其のあけの夜亥の日にあたりけれは、亥の子のもちゐを惟光か許より奉りしを、是れをねの子の餅と名つけて、明日の夜奉れかしとありけれは、惟光ねの子の餅はいくつ奉らんと問ひしに、源氏の君みつかひとつにもあらんかしと答へ給ふことなり。亥は十二の数なるにより、餅も十二奉りたる也。それをみつかひとつと仰せられしは、四つ奉れと云ふことなり。新枕より三日にあたる夜、枕上に餅をすゑて祝ふこと有り。それは数四つを二重にして置くなり。是れ源氏三箇の大難事とす。(あとは折にふれて)
【口語】
  1. 若い頃に漫然と書きとめておいた歌書のうち、武者小路実陰卿、東久世博高卿らの家伝の秘書を紐解いてみると、歌に限らず詩にも文にもあてはまりそうな記述が多かったので、選び出してみた。その道に深い人にとってはもちろんひとりよがりではあろうが、初学の人にはためになることもあるかもしれない。
  2. 「短歌」と言っても「長歌」と言っても基本的には同じである。ただ、長歌はひとつのことについて始めから終わりまで言い続けたのを指し、短歌は数多くのことを取り集めて言い続けたのを指す。長歌短歌とも長歌のように詠む。長歌は三十一字の詩歌であり、短歌は常に長歌を詠む気持ちで詠むものだ。──このような意見には根拠がない。長歌における三十一字の詩歌にあたるのは返し歌の返りというものである。詩でいう絶句のようなものだ律詩において対句を除いて作るもののことである。返し歌は長歌と同じこころを短く言いとめるものである。
  3. 歌で前句に「花の波」などとあっても、下句に「かかる」などと縁語を詠み続けてしまっては、あとが続かない。縁がとぎれないように続けて詠まなくてはならない。
  4. 「腰折れ歌」というが、それは、歌の五七五七七の間の言葉に、強い言葉と弱い言葉が混ざっているのを「腰折れ」というのである。最初の五文字が強い言葉だったら、最後まで同じように強い言葉で詠まねばならない。また、最初の五文字が弱い言葉だったら、最後まで弱い言葉で詠むようにしなくてはならない。たとえば「もののふの矢並つくろふ籠手の上に霰たばしる那須の篠原」。このように詠み続けなくてはならない。最初の五文字から最後まで強い言葉である。武士の矢なみ、籠手、あられ、那須の笹原。このように弱い言葉を一言も入れず、鬼の住む野を言い表し、雨露ではなくあられを詠み出して、ウズラなどではなく笹原を詠む。このように強い言葉を揃えなくてはならない。強い言葉の中に弱い言葉が少しでも入っているのを「腰折れ」と言うのである。
  5. ねの子の餅は三日ひとつというのは、源氏の君が若紫の姫君と初めて枕を交された、その次の夜が亥の日だったので、亥の子の餅を惟光の許より奉った。すると、これを「ねの子の餅」と名づけて、明日の夜も奉ってねと言われた。惟光は、ねの子の餅はいくつ奉りましょうかと問うたところ、源氏の君は三日にひとつでよいであろうとお答えになったということだ。亥は数でいえば十二にあたるため、餅も十二個奉ったということ。それを三日にひとつと仰られたのは、一度に四つ奉れ、ということである。初夜から三日にあたる夜、枕もとに餅を置いて祝うことがあるが、ここでは餅四つを重ねて置くのである。まさに源氏の三箇の大難事といえよう。(あとは折にふれて)
【メモ】

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