YMCAヨットクラブ30年の歩み 1998 Feb
クラブの成り立ちと経過
1964(昭39) 名大OB所有のLYLA(ライラ Y-19 センターボーダー)を大矢氏(名大ヨット部OB)が借りて、YMCAヨットクラブが発足(同好会)。
1965 ヨットクラブとして、YMCAにて正式に承認、しかし艇庫の建設ならず。
1966 「さつき」(Y-21、21Ftクルーザー) を借りて、2艇で活動を始める。
1967 クラブで「さつき」を購入、クラブの所有艇となる。
1968 木製テンダーをクラブで製作する
1970 「さつき」台風で破損。
1971 プレハブ2階建て艇庫をクラブ員の好意で建設、吉田氏(ヨットを自作している大工さん)のFC(12Ft スループディンギー)を借りてディンギー活動を始める。
1u有志の出資により、メルキュール([ル(ー活動を始めオセアン22)1世進水する。
クラブ員によりFC製作(吉田宅を借りて)、吉田氏のグッピー(8Ftキャットリグ) 進水。
メルキュール、パールレース初参加、クラス2位となる。
艇庫、台風で中破。修理に良く働いた。
YMCAの子供を招き、初めてヨット教室を開く。
1973 グッピー( 8Ftキャット )中古を購入、オーストラリアモス完成。
LYLA(ライラ Y-19 )を売却する。
西川氏自作のY15(15Ftスループ)と共に入会する。
鬼崎ヨットクラブ発足(鬼崎ヨット協議会)。常滑市の市友となる。
1974 「さつき」大修理終り、やっと進水する。
メルキュール、パールレースSクラス3位となる。
メルキュールT世を売却し、U世(オセアン25)を購入。
1975 クォータートン(25Ftクラス)ワールド日本開催を控え、選考レベルレース参加、4・5月 志摩レース総合優勝(着順2位)。
パールレース惜しくもクラス2位総合17位。(同型艇がクラス1位)
東海レース(河和〜勝浦〜五か所)ファーストホーム総合優勝。
NORC. 野島レース(三河、伊勢湾一周)ファーストホーム総合優勝。
NORC. 東海支部 年間総合優勝、クォータートン協会2位。
会費\10000 入部金\3000 さつき(Y21Ft) ディンギー(FC-2艇 グッピー2艇 モス Y15 プラム)
1976 初の大クルージング(浜島〜紀伊長島〜安乗)。クラブ初のFRPディンギー、シーホッパー(中古オレンジ)を購入する。
1977 「さつき」をマークボートにしてディンギーレース盛んになる。
主要メンバー多忙になりパールレース不参加、クルージング主体になり始める。
1978 会報始める(急速に沈滞化しつつあったクラブの再生を目指して)
BW24(中古)をクラブ債を発行し購入、ミストラルと命名する。
大矢氏、Y36「桃太郎」ナビとして沖縄レース出場、微風のため惜しくもリタイア。
はりぼてテンダー、浅野宅にて製作(浅野、西川)完成。
メルキュール、ミストラル、さつき3艇にてクルージング(浜島〜鳥羽)。
さつき、浜島の大矢氏の友人に売却。
メルキュール、東海レースヘただ1艇のクォータートン(25Ft)で出場。張り切り過ぎて、ディスマスト。
1979 小川氏、放置してあるシーホッパー(白516)の持ち主を捜し出し、酒一本と交換する。
初の五月クルージングを行う(鳥羽〜安乗)
伊勢湾長距離レース、永井氏レーザーを振りきり小差でディンギー部門優勝。
メルキュール台風により港内で沈没、各地のヨットハーバーに大被害。
後藤兄弟シーキャップと共に入会する。
1980 OYC五月ランデブー実施、鳥羽、今浦「海香」で大パーティー開催。
ミストラル、オフシーズンを利用して上架大修理(船体、キャビン全塗装、ブーム改良)塗料の吹きつけ作業は、豪雪(56年) と、強風と、シンナーの匂いに難行。
1981 ミストラルの大修理、寒さと戦いつつ完成。
小川氏自作ブリット(470リグ+モス?)完成、進水。
1982 初日の出セイリング始まる。
後藤兄弟、犬飼氏、念願のトラピーズディンギー、シースパイダー購入。
1983 ミストラル(BW24) を売却しメルキュールU世をミストラルU世として購入。
OYC野島レース新ミストラル強風をついて優勝。
メルキュールV世デビューのパールレースにてフィニッシュ直前、生けすに激突。
艇庫の階段、YMCAメンバー(ヨット部以外の)の好意によりかけ替える。しかし艇庫はすでにかなりの老朽化が進んでいた。
1984 FCの代替えとして神戸氏シカーラ(13Ftスループ)購入。
中川氏+本職により、雨もりのひどい屋根の、トタンを張り替える。
1985 重い張りぼてテンダーの代わりに、メルキュールと共同で軽量テンダー(Y8) を購入。
ミストラル、エンジン交換(2サイクル、ビレー7→ヤンマーYA8ディーゼル格安新古品) へ。
1986 メルキュール、津からの帰り鬼崎港口にて座礁、岩場に打ち上げられるも、漁船により奇跡的に離礁、ラダー、キール小破。
ミストラル伊勢長レース優勝。艇庫ほとんど倒壊寸前、建て替え問題本格化。
鵜飼氏6年ぶりに転勤先の関東より帰名。
佐藤榮十会計による、緊縮財政始まる。(会費の取り立てもきつかった)。
1987 危険なため、朽ちかけたプレハブ艇庫のドア固定、ディンギー活動停止。
1988 名古屋学院の艇庫を借りて(休部中)艇庫の備品を移動する。
YMCA、関連団体などへ、寄付の要請をするため、クラブ員自ら各地へ出向く。
4月念願のシーサイドセンター(艇庫)完成、内訳 YMCA200万 募金 100万 クラブ200万(クラブ資金には多くのクラブ員からの \5000〜数万円のカンパ金が含まれています)
1989 艇庫の新しさも手伝って、メンバー大幅に増え、潮干狩りブームとなる。
鬼崎港改修工事始まる、常滑に一晩係留時、強風によりアンカーが流れ OYC各艇被害。
1990 正月鳥羽クルージング、なぜか恒例になりつつある。
5月ミストラル買い替え (16年もののオセアン25 → 6年落ちY26CEX)
二世、三世同時回航(衣浦〜鬼崎)豊浜にてミーティング。
ディンギー活動本格化、中古シーホッパー共同購入始まる。
9/20大型台風の直撃を受け、条件の悪い常滑港に仮泊していた OYC各艇大被害、奇跡的にミストラル他4艇のみ無傷。5艇沈没9艇大破、鬼崎にいた艇は無傷だった。
1991 艇庫のラック完成、ディンギーも次々購入、一階がやっとヨットクラブらしくなる。
レーザーグループとのポイントレース始まる。レスキューが必要になってきた。
会報がついに100号を越え、メンバーのコミュニケーションの向上に役立った。
追手のパールレース、メルで出場、24時間40分のメルキュールの新記録達成。最高12Kt
ミストラル、中古のケブラーレーシングセイルとフォールディングプロペラ購入。
1992 セイル、ペラ新調のミストラル、ポイントレース初戦1位(軽量化もかなり効いた)。
常滑市長杯ディンギーレースでクラブ初の遭難発生、漂流後名古屋港口で救助される。遭難の反省に立ち、レスキュー艇購入と連絡の円滑化を図るため艇庫に電話の設置を決める。
1993 4月6日念願の、ピンク電話設置。会費7年ぶり\36000に値上げ。
ミストラル、五か所レースへエントリー。しかし、荒天のためリタイア。
メルキュール富貴ヨットハーバーへ移る、長い間の一緒の活動に終止符が打たれた。
鬼崎港浚渫のため、ミストラル再度常滑港(赤灯下)へ仮係留。
7月レスキュー(ニッサン24Ft、インボードディーゼル)購入、大矢杯ディンギーレース始まる。
9月、5年もの鬼崎港改修工事に区切りがつき、OYC全艇帰港、係留。
12月19日YMCAマリンネットワークのペナントを受け取るため津ヘ向かう。翌日帰港
1994 4年ぶり鬼崎にディンギースロープ復活。
ミストラル再度、五か所湾レース挑戦、今度は微風でリタイア。
クラブ創設者、大矢氏よりカップが届く、大矢杯ディンギーレース年3回開催、本格化。
ミストラル、デニスコナーカップ(三河湾)、伊勢湾合同レース(津)など遠征、健闘するが、成績、回航などに小型艇の限界を感じ30Ft化が必要となってきた。
1995 ディンギーレースが盛況となり、クルーザーは停滞気味となるが OYCの全レース出場。
夏から秋にかけて台風多く来襲、漁船が泊地に入り込み上架中のミストラル降ろせず。
1996 1月念願のミストラル四世購入する(Y31S) 、2/11進水式、14名乗せてセイリング。
5月ミストラル初の五か所レース完走。三河湾のエリカカップレースも遠征。
10月伊勢湾合同レース(津沖)にて、衝突事故(当方の責任)を起こす。相手の船腹に大穴があくも、当方はかすり傷、修理料 250万円保険のありがたさが身にしみた。
1997 5月伊勢湾ミドルボート、河芸マリーナにて3日間レース三昧。
11月クルーザーの新港移転終わる。2年後の艇庫移転が今後の重要な問題となっている。
クル回トップグループ年間3位入賞。。
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以上は1975年の入会案内と、1978年以降の会報から抜粋しました。
(現状) 会員43名、ディンギー(シーホッパー6艇、その他6艇)、ミストラル、レスキュー。