▲ Top

 昭和五十二年に八重山で勤王流八重山舞踊保存会が発足し、川井民枝はその約十年後、当時、勤王流八重山舞踊保存会会主であった石垣寛吏先生の門を叩きます。そして厳しい修練の後、先生から教師免許が授与され、さらに数年後、師範免許も授与されます。川井民枝はそれに前後し、まずは石垣市に最初の道場を立ち上げ、後に那覇市移住後は同市内にも道場を立ち上げます。
 平成十九年には勤王流八重山舞踊保存会傘下に、石垣寛吏先生が完成した
流動体としての二十二の手 を継承する 無錆之会 を創設しました。平成二十九年に石垣市白保の道場を本部道場と定め、県下に四つの道場を構え、後進の育成と勤王流八重山舞踊の保存に加え、創作舞踊にも力を入れています。以下、川井民枝の略歴、無錆之会の陣容等について記載します。
会  主
川井 民枝
昭和二十六年
昭和六十一年
平成四年
平成五年
平成七年
 
平成八年
平成十二年
平成十八年
平成十九年
 
平成二十二年
 
平成二十七年
 
平成二十八年
 
平成二十九年
 
石垣市白保に生まれる
石垣寛吏先生に入門
石垣寛吏先生より教師免許が授与される
石垣市に『勤王流八重山舞踊保存会 川井民枝道場』を開設
那覇市に移住
『勤王流八重山舞踊保存会 川井民枝八重山舞踊道場』開設
最初のリサイタルを開催
石垣寛吏先生より師範免許が授与される
石垣寛吏先生逝去
国立劇場おきなわにて石垣寛吏師匠追悼公演を執り行う
「無錆之会」を立ち上げる
南城市つきしろを本拠地に定める
『勤王流八重山舞踊「無錆之会」川井民枝舞踊道場』開設
金武道場、石垣大浜道場(後に石垣白保道場)を開設
師範・教師に係る審査制度を発足させる
浦添道場を開設
国立劇場おきなわにて川井民枝芸歴三十周年記念公演を開催
石垣白保道場を本部道場とする
教師三名に道場看板を授与する
役   員 那覇市共同大使
那覇市文化協会理事
 同協会総合部会理事
 同協会八重山芸能部会部会長
南城市佐敷文化協会芸能部会副部会長
金武町文化協会八重山芸能部会会長
沖縄・ニューカレドニア友好協会理事
八重山台湾交流協会理事
《 教師免許授与 》 石垣寛吏先生の自宅で先生より教師免許が授与される(平成四年)
陣 容 会主・師範 川井 民枝
師 範 宮良 訓子
教 師 山里 みえ子、川井 八重子、兼箇段 禎美
《 道場看板授与 》 左から   兼箇段禎美、山里みえ子、川井会主、川井八重子   壺中庵の前で (平成二十九年)
道   場 勤王流八重山舞踊「無錆之会」川井民枝八重山舞踊道場(本部道場)
石垣島 石垣市 白保(宮良訓子舞踏道場 併設)
勤王流八重山舞踊「無錆之会」川井民枝八重山舞踊道場(つきしろ道場)
沖縄本島 南城市 つきしろ
勤王流八重山舞踊「無錆之会」川井民枝八重山舞踊道場(浦添道場)
沖縄本島 浦添市 浦添
勤王流八重山舞踊「無錆之会」川井民枝八重山舞踊道場(金武道場)
沖縄本島 国頭郡 金武町 金武

勤王流八重山舞踊「無錆之会」川井民枝八重山舞踊道場(本部道場)
        
《 平成29年 本部道場の移設 》
石垣白保の道場は宮良訓子師範が教授します
平成29年2月に道場を改装、ここを「無錆之会」本部道場としました
右下は道場開きの舞の模様です 〔登峰〕で道場開きをお祝い

勤王流八重山舞踊「無錆之会」川井民枝八重山舞踊道場(つきしろ道場)
     
      
《 つきしろ道場と道場内部の様子 》
南城市つきしろはニライカナイ橋に近く、少し行けば斎場御嶽があります
本部道場の前は広い歩道になっていて街全体がゆったりした感じです
歩道のテーブルで川井先生が誰かと話し込んでいます 八重山舞踊の話になると熱が入る川井先生です
平成29年まではここが本部道場でしたが、現在は石垣市白保の道場が本部道場となっています。
それでも川井先生の本拠地であるこの道場が「無錆之会」の中枢であることは変わりません。

道場点描
《 道場で舞台衣装を纏って 》
これは無錆之会の練習ではありませんが
県外からの修学旅行ホームステイでの一コマです
《 川井先生から鍬の担ぎ方の手ほどき 》
使ったことがないでしょうから仕草から教えます
見ている人は笑顔ですが本人は超真剣
《 無錆之会 年始の舞い始め 》
普段は踊る機会のない人も一緒に踊ります
いろんなレベルの人が一同に会する年初めの厳粛ながらも楽しいイベント
芸能の宝庫 八重山
 八重山は沖縄本島から南西に約200海里(※1)離れた島々。今は飛行機で1時間ほどですが昔の船では5ノット(※1)で快調に走ったとしても40時間。風向きが悪ければもっとかかりましたから言葉(※2)や文化も本島と切り離され、芸能も八重山独自のものが発展しました。勤王流の舞踊もその一つです。
 川井先生が生まれたのは石垣島の南東に位置する白保。ここは昔から芸能が盛んなところでした。先生も子供のときから地元の民謡が自然と聴こえてくる環境で育ちましたし、親類の少なからぬ人達が芸能に携わる土地柄でしたから、石垣寛吏先生の門を叩いたのも自然の成り行きだったのかもしれません。
※1 1海里 = 1.852キロメートル 1ノット = 1海里/時 = 時速 1.852キロ
※2 同じ八重山でも島によって言葉が異なります(!) 沖縄全体では膨大な数の言語が存在するのです
《 浦添市で開催された〔みちあしび〕で披露された白保の獅子舞 》
白保の獅子舞は、雄雌の獅子がお囃子に合わせ、滑稽な仕草で踊ります
獅子が子供の頭を噛んで、また子供を飲み込んで(!)、子供の無病息災を祈ります
 八重山民謡で一番馴染みがあるのは〔月ぬ美しゃ節(つきぬかいしゃぶし)〕でしょう。元々は子守唄です。“うきなん、やいまん、照らしょうり(お月さま、沖縄(本島)と八重山を照らしてください)”と唄われます。あとは〔鷲ぬ鳥節(ばすんとぅるぶし)〕でしょうか。
 どちらの歌も石垣島出身の歌手、夏川りみさんが歌っています。皆さん(恐らく)ご存知のBEGIN、それに若い人に人気のきいやま商店も石垣島出身のグループです。さて、BEGIN、きいやま商店、そして我が川井先生の共通点は、、、それは全員、八重山高校(八重高)の出身。歌の島、芸能の高校、です。
《 “海の青さに空の青♪” 》
〔芭蕉布〕冒頭の歌詞 沖縄の情緒をこれほどまで美しく表現している歌はないと思います

勤王流八重山舞踊保存会  無錆之会  Website
Establishment  2017年(平成29年)4月1日
Copyright 勤王流八重山舞踊保存会 無錆之会